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パナシ

117,良いと悪い

 学生時代に、人間の本性について「性善説」と「性悪説」で考えたことがありました。
「性善説」は、紀元前の頃に、孟子が唱え「人は生まれた時は、無垢で良い人なんだから、努力して良い人としてあり続けなさい。」という話。
「性悪説」は、同じく紀元前の頃に、荀氏が唱え「人は生まれた時は、ルールやマナーをわきまえていないんだから、努力して良い人に成らなくてはいけない。」という話。
この「人は生まれつき善であるという性善説」、反対に「人は生まれつき悪であるという性悪説」、皆さんは、「人の本性」を言い当てているのは両説のどちらだと思いますか?
 ある学者が色々な人に聞いた結果、もっとも多かった回答が、「どちらとも言えない」というものでした。
その中には、「人間が生まれ持ったものは、善悪じゃなく動物の本能に過ぎないと思いますよ。善も悪も、育つ環境で身につくものだと思います。」
「善も悪も人の都合で決めたものでしかないので、人そのものがどちらなのか、ということは論じても意味がないのでは?」というのもあったそうです。
 色々な解釈を調べてみると、どちらも「努力しなさい」「努力して良い人になりなさい」という意味では同じです。
 また、日常で使われている性善説「人は本当は良い人」、性悪説「人は根は悪い人」というのは、双方の論理の冒頭を端折って使い回しているだけで、本来の意味とは全く関係が無いようです。
 両説とも本性より、生まれた後の育つ環境の方が大事だと言っています。
 そもそも「良い」「悪い」とは何なんでしょうか? 
私たちは、往々にして「良い」「悪い」の括りで物事を評価してしまいがちですが、大事なのは、そのことの中身の問題ではないでしょうか?
また、評価・判断の基準も人によって違いますし、多種多様で色々です。自分にとって? みんなにとって? 県や国という単位にとって? 人類全体にとって? 生物や地球環境にとって? また、「昔は良かったが今は…」「あの国では良くて、この国では良くない」のように時間と場所によっても変わりますね。
 例えが良いかどうかわかりませんが、「右」と「左」のようなもので、同じ位置にあるものでも、立って見る位置によって「右」だったり「左」だったり…。
 自分では「良い」と思ってした行為が結果的には「悪い」であったということもあり得ます。
辞書ではどう定義されているのか?ちょっと調べてみました。(参考:大辞林)
良い:望ましい状態を広く言う言葉
①品質的に上等 ②美的に優れている ③能力的に優れている④身分家柄が高い。経済的に恵まれている⑤倫理道徳にかなっている。正当⑥規範や標準にあっている。適格⑦人柄が好ましい。善良⑧親密、むつまじい⑨目的にかなっている。ふさわしい。好都合。⑩めでたい。吉である⑪利益になる。得だ。⑫快適、心地よい。快い。⑬十分だ。整っている⑭差支えない。構わない。⑮しやすい。たやすく…することができる
悪い:望ましくない状態を広く言う
①好ましくない状態。よくない②品質的に下級。粗悪。 ③美的に劣っている。醜い。 ④能力が劣っている。劣等。⑤身分家柄が低い。経済的に恵まれていない。⑥倫理道徳に反する。道に外れている。⑦規範や標準に合わない。適格でない。⑧友好的でない。むつまじくない⑨人格的に好ましくない。⑩都合がよくない。具合がよくない。⑪不利益になる。得でない。⑫不快。快くない。⑬調子がよくない。病気。故障。⑭好ましくない結果について責任がある。⑮迷惑がかかって気の毒である。申し訳ない。

※絶対的なものがあるわけでなく、あくまで比較の評価の問題ですね。

 私の結論としては、物事を「良い」「悪い」「正しい」「正しくない」で、すぐにパッケージにせず、自分なりに、そのことの中身で考えるようにしないと流されてしまう気がします。(誰にとって?時間的には?場所的には?…)、もっと良い方法だってあるのだろうし…。
 ただ、あまり考えすぎると何も出来なくなってしまいそうですが…。軽々に「良い」「悪い」で括るのは止めようと思います。
 特に人の上に立った時、部下同士のトラブルに裁判官のように「良い」「悪い」の判断は考えものです。司会者にならなければ…。と思います。
真実は、昔も今も変わらない。今を生きるヒントが古い物の中にあるやも?

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作成者: パナシ

雑学大好き、何でもやりっぱなしが多い。

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