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155,恩返し


「お父さん、この煎餅、美味しいね。」

「そうだろう。近くのお店になかったから、わざわざ大きなスーパーまで言って買ってきたんだよ。」

「黒豆の歯ごたえと香りが良いね。何処の製品?」

「袋の裏を見てごらん。」

「うん。….新潟県長岡市…岩塚製菓って書いてあるよ。」

「実はこの会社、すごい話があるんだよ。」

「なに?教えて!」

「ヒデちゃん、煎餅に販売世界一ってどこだと思う?」

「そりゃ日本でしょ?」

「お父さんもそう思っていたけど、これが違うんだな。」

「じゃあどこなの?」

「それが、台湾なんだよ。」

「そうなんだ。」

「この台湾の会社は旺旺(ワンワン)というんだけど、この会社はもともとは水産加工していたんだ。

息子の蔡衍明(サイホンミン)さんが北海道にイカの仕入れに来たんだよ。

その時、この岩塚の煎餅に出会い、その味にほれ込み、わざわざ新潟の岩塚製菓まで行ったんだよ。

そしたら岩塚製菓の社長の槇計作さんが丁寧に米菓製造の技術指導をしてくれたんだよ。

今から約40年位前のことだけどね。その後も技術指導は続けられ、旺旺は成長をし続け、上海に本拠を置く巨大会社になったんだよ。」

「そうなんだ。」

「旺旺グループの商品は、今や世界56か国で販売されていて、『米菓生産量世界一のメーカー』なんだってさ。蔡代表は槇元社長を「旺旺の父」と呼び、旺旺グループの上海本部の1階ロビーには、岩塚製菓の槇計作元社長の銅像が置かれているらしいよ。」

「すごく良い話だね。」

「もっとすごいのは、旺旺企業の株を岩塚製菓はその5%を保有しているから毎年22億円位の配当を受けているんだってよ。」

「ふーん。」

「この話を思い出しながら食べると、この煎餅ももっとおいしく感じるよ」

「お父さん、良い話をありがとう。蔡さんも元社長の槇さんもすごい人たちだね。やっぱり人には親切にするのが一番だね。僕も槇さんのような人に出会えるといいなあ。」

「ああ、そうだね。まずは、蔡さんのように逞しくなることかなあ。」

「うん。頑張るよ。」

美味しそうな黒豆煎餅
槇計作 社長像

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154,立場は人を変える


「おい、田中君、ちょっと来て!」

部長から声がかかり、部長室に行くと

「今度、君を係長に推薦しようと思うんだが、どうかな?」

「えっ?…でも…僕にはそんな力はないです。周りは年上の方が多いですし…お気持ちは嬉しいんですが…」

「最初から自信のある人はいないよ。そんな人は、信用出来ないよ…。    

 私も柔道やっていて、師匠から二段を受けないかと言われたとき、今の君と同じように答えたんだ。             

 すると師匠が

『誰だって自信のあるやつはいないよ。自信が付くまでといったら一生お前は初段で終わるぞ。

二段にならなければ二段の世界は見えてこない。

立場は人を変えるんだよ。

新しい帯を締めたら二段の風格がだんだんと出てくるから大丈夫…。

いいか、人の好意とお薦め事は、素直に受けることだ。

断ったら二度とその話はないと思え!…。

…これ昇段申請書だ。次の練習日までに仕上げてこい!』

強引さの中にやさしさがあったなあ。あの師匠…」。

「部長、分かりました。力不足ですがやらせていただきます。」

「そうか。良かった。係長という立場で君の手腕を存分に発揮してもらいたい。応援しているから頑張って! 

あっ、この話、まだ二人だけのことだからな。」

「はい、ありがとうございます。」

部屋を出る田中さんの姿には、やる気が益々出てきていました。

頑張るぞ!部長に恥をかかせないためにも。 前途洋々だぜ

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153,ごまかさず


 小学校時代の国語の教科書に、こんな物語が載っていました。

《雨に濡れた本》
 リンカーンは、アメリカの16番目の大統領です。

リンカーンが大統領になるまで、アメリカでは人間を売ったり、買ったりしていました。
それは黒人と言われる人達で、自分達と、肌の色が違うというだけで、まるで動物のように働かせていました。
リンカーンは、この悪い習慣をやめさせた人です。

 リンカーンの父親は、貧しいお百姓さんでした。
森の木を切り、そこに畑を作って暮らしていました。家と言っても丸い木を積み上げただけの、まるで物置小屋のようなものです。
家族は、父親と母親の他に、姉とリンカーンの4人。たった4人でも一生懸命働かなくては、ご飯を食べることもできません。

 父親も母親も、朝早くから夜遅くまで真っ黒になり働きました。
リンカーンも7歳になると、父親や母親と一緒に畑へ行き、仕事の手伝いをしました。

それでも食べるものといったら、自分の家の畑で取れるジャガイモとトウモロコシぐらいで、パンを買うお金もありません。

夜になってもローソクがなく、いろりに薪をくべ、その明かりで本を読みました。

学校へ履いていく靴も、父親の作ってくれるシカの皮の靴です。
雨が降ると、すぐに壊れてしまい、まるで裸足で歩くようなものでした。

 リンカーンはその学校も、一年ほど通っただけでやめてしまいました。
お金がないので、父親や母親と一緒に働かなくてはならないからです。

でもリンカーンは、少しも悲しいとは思いませんでした。森の中には、シカやウサギがいます。畑仕事が終わると、このシカやウサギを追いかけて遊びました。

 リンカーンの一番楽しいことは、夕方、家の前にある切り株に座って、母親からお話や歌を聞いたりすることでした。

(早く大きくなって、お母さんをうんと楽にしてあげなくちゃ)

母親にお話をしてもらう度に、リンカーンはそう思うのでした。
でも、その母親も、まもなく栄養が足りなくて病気になり、亡くなってしまいました。

 リンカーンが10歳になった時、新しい母親がきました。
この母親も働き者で、優しい人でした。

学校に行けないリンカーンのために、自分の持ってきた本を読ませてくれました。

リンカーンは、夢中になって本を読みました。
沢山本がないので、同じ本を何度も何度も読みました。
(もっと他に、新しい本が読みたいなあ)と思っても、本を買うお金なんてありません。

 するとある日のこと、近くに住んでいるお百姓さんが『ワシントン伝』という本を貸してくれました。

ワシントンは、アメリカで初めて大統領になった人です。
この本には、ワシントンの一生が詳しく書いてあったのです。
こんな本は、今まで読んだことがありませんでした。

ワシントンが子供の時、どんな暮らしをしていたか、どうやって大統領になったのか、まるで目に見えるように書いてあります。
もうおもしろくておもしろくて、このままずっと終わりまで読んでいたいほどです。

でもリンカーンは、仕事をしなくてはなりません。
本を読む時間は夜だけです。毎晩、ベッドの上で夜遅くまで読んだ後、本をベッドのそばの丸太の間にはさんでおき、仕事が終わってから読みました。

 ところがある晩のことです。
仕事で疲れていたリンカーンは、雨が降っているのも気づかずに、本を丸太の間に挟んだまま眠り込んでしまいました。
リンカーンのベッドは、屋根のすぐ下にあり、丸太の間から雨が漏ります。

 次の朝、起きてみるとどうでしょう。大切な本が雨に濡れて、ぶくぶくに膨らんでいました。

「しまった」…リンカーンは、慌てて本を取り出しましたが、もうどうすることも出来ません。これは人から借りた本です。

しかたなく、乾かした後、その本を持ってお百姓さんのところへ行きました。

「うっかりして、大切な本を雨に濡らしてしまいました。それなのに弁償するお金もありません。
そのかわり三日間、ただで働かせてください」リンカーンが一生懸命頼むので、お百姓さんは三日間働いてもらうことにしました。

薪を割ったり、牛の世話をしたり、リンカーンは、夢中になって働きました。

 三日目の夕方、お百姓さんがいいました。

「君は、本当に働き者だ。お礼にその「ワシントン伝」をあげよう。
それからこれもあげよう」と言って、アメリカの国がどうやって発展してきたのかという歴史の本までくれました。

「ありがとう、おじさん」リンカーンは飛び上がって喜ぶと、二冊の本をかかえたまま、飛ぶようにかけていきました。

    西本鶏介さん著 「光をかかげた人たち」 より抜粋

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●大抵の人は逆境に耐えられるが
本当に人を試したかったら
権力を与えてみることだ。

 ●木を切り倒すのに6時間ほしい。
      そのうち4時間は斧を研ぐことに費やそう。     

●全ては本から学んだ。

 「リンカーン」とか「濡れた本」と聞くと小学校時代を思い出します。

当時、国語の授業中に先生に指名された友達が。大きな声で読みました。

「ねれた本」

「えっ?」クラスのみんなも先生も変だと思いました。

「もう一回読んでみて!」先生が言うと、

その友達は、自信をもって、再度「ねれた本」と…

みんな一斉に笑いました。

「君、『ぬ』と『ね』を間違って覚えていない?だいいち、ねれた本ってどんな本なんだ?」

「はい、誰も読まないから、ずっと寝ていた本だと思います。」「ああ、それで本がゆっくり寝れたんだ。」

みんなお腹を抱えて笑いました。

このことがあって、強烈にこのリンカーンの話は覚えています。

『過ちは誰にでもある。逃げたりごまかしたりせず、誠意をもって対処しなさい』この教訓とともに…。


 ところで、今、私たちが習ってきた「リンカーン大統領」は「リンカン大統領」っていうのが、当時の彼の呼び方に近いとされ
てきていますね。

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152,ちょっと

ちょっとすいません。

 外国の方に言われて、「あっ。そうか」と気付かされることがありますが、その中に「日本人は、よく『ちょっと』という言葉を使いますね。」「えっ?そうかなあ?」と思って色々取り出してみました。  

・ちょっとわかりません  ・ちょっと違います  ・ちょっと待ってください  ・ちょっと、いいですか  ・ちょっと見せてください  ・ちょっと、どいてください  

・ちょっと今忙しいんです  ・ちょっと、すみません  ・ちょっと食べてみて!  ・お金が足りないんだって、ちょっと貸してやって!  ・分からないところあるので、ちょっと教えてください  

・ちょっと着替えてくるね  ・どこまで行くの?ちょっと東京まで  ・もう少しだから、ちょっと持ってて!  ・ちょっと、歌ってみて!  ・良く分からん。ちょっと説明して!  

・あのやり方、ちょっとおかしくない?  ・その髪型、ちょっと変だよ  ・あいつ、ちょっと生意気だよな  ・ちょっと派手じゃないか?  ・調子に乗っているから、ちょっと言ってやって!   

・しょうがないなあ。かわりにちょっと行ってやるよ  ・ちょっと来いよ!  ・消しゴム、ちょっと借して!  ・その本ちょっと取って!  ・そのお花、綺麗ね。ちょっとちょうだい

・ちょっとあの人紹介して! ・本人に知られたら、ちょっとまずいなあ  ・この味、ちょっと薄いかなあ  ・化粧、ちょっと濃いかなあ?  ・あなた、ちょっといやらしいわよ  

・あの人、ちょっと嫌い  ・あの子、可愛いし、ちょっと好きだな  ・あのクソガキ、ちょっと殴ってやろうか  ・ちょっと、止めろよ!  ・ちょっと、何するんだ!  ・ちょっと見は、いいが…  

・店長、ちょっと負けて! ・この問題はちょっと難しいなあ  ・歩いて行くには、ちょっと遠いね  … 

数限りなく出てきます。指摘された通りでした。

 日本の人は、人と話している時に、毎回必ず使っているはずですよ。』と。

考えてみたら、そういうことなんだ。と気づかされました。

意味としては『少し』で言い換えられるものがほとんどですが、「少し」より穏やかに聞こえます。

「ちょっと、止めろよ!」「その本、ちょっと取って!」「ちょっと来いよ!」などは完全に語気を和らかくしている使い方でしょうね。

「ちょっと待って!」などは「少し」の意味と「語気を和らげる」両方持っているように思います。

色々な所に使えて便利で、柔らかい、使って心地よい言葉なのかもしれないなあ、とちょっと思いました。


 語源をちょっと調べると、はっきりは分かりませんが、大和言葉の「ちと」「ちっと」から変化してきて「ちょっと」になったようです。

漢字では『一寸』と書きます。意味にあてて読みを「ちょっと」にしたんですね。一寸は約3㎝のことで、ほんの少しの意味です。


英語では a bit  a little  just for a moment  in a minute などを使い分けています。
中国語では、同じ動詞を繰り返したり、「点」を付けたりして語気を柔らかくしています。

※Q:ここで意表を突いた問題です。日本でよく使われている漢字は何でしょうか?

参考:漢字の国中国では

1的  2一  3是  4了  5我  6不  7人  8在  9他  10有 

が使用ベスト10です。

A:(答え)日本語使用漢字ベスト10 (日本語センター調査結果より)

1日  2一 3大  4年  5中  6人  7会  8月  9本  10上

意外でした。1位の「」は全く眼中になかったが、

「今日は!」「今日は、11月3日、日曜日です。日本では、祝日で、学校も休日扱い。毎日こうなら日日是好日」なるほど、読み方が色々あるので、気が付かないだけで、結構使っていますね。

ちょっとボケ気味だけど、僕もベスト8入りか。嬉しいなあ。

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151,傘


 「このところ毎日雨で嫌だね。お父さん。」
「そうだな。お父さんも日本人だから、雨というとジメジメ、シトシト…なんとなく憂鬱になるよ。
だけど、英語でレインというとピチピチ雨粒が楽しく跳ねているように思えるんだよな。ヒデちゃんはそんなことないかい?」
「うん、そう言われればなんとなくそんな気になるね。雨…レイン…うん」。
「傘は手軽でいいけど、合羽ほどは雨を防げないし、合羽は着たり脱いだりが面倒だし…。
傘や合羽以外に、何か良い道具はないものかなあ。お父さんは、雨が降るたびにそう思うんだ」…。
「ヒデちゃん、傘って昔は、女性しか使わなかったんだって。知ってた?」
「えっ?そうなの?」
「うん、世界では、おおよそ4000年ほど前から傘が使われ始めたとされているんだよ。
 中東の壁画や彫刻にも見られるらしく、当時は雨よけではなく、貴族の夫人や高僧たちが日傘に使用し、権威の象徴としていたらしいよ。
ヨーロッパに広まっても、日傘として使われながらも、女性のアクセサリーなど色々な使い方もされたんだ。

街中で2階から投げ捨てられる汚物をよける為の必需品だったと云う話もあるよ。」
「えっ?汚い。トイレがなかったの?」
「うん。それで、女性の持ち物だった傘は、18世紀後半のイギリスで男性が本格的に雨傘として使うようになっていくんだ。
それまで、男性は帽子で雨を防ぐのが普通だったんだ。段々と男性が傘をさす事に違和感が無くなり、今のようになっていったんだって。
それに、傘の持ち手をステッキと同じにしたら、更に広まったらしいよ。」
「そうなんだ。最初に傘をさした人もすごいね。」

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「日本に洋傘が入ってきたのは安土桃山時代に中国から入ってきたらしいよ。」
「その前は、どうしていたの?」
「唐傘とか番傘と呼ばれた竹の骨組みに油紙を張ったものを使っていたらしいよ。それはかなり古くから日本にあるんだ。」
「それって、今でもあるの?」
「もちろんだよ。洋傘に対して和傘と呼ばれているけどね。洋傘は動物の蝙蝠(コウモリ)みたいだからコウモリって呼ぶおじいさんもいるよ」…。
唐傘、和傘とも言われる
 「ところで、ヒデちゃんは、畳んだ傘はどうやって持つ?」
「うん、学校で先生にも言われたよ。横にして持って歩くと後ろの人にぶつかるから、縦てで持つようにって。」
「そうなんだよ。駅などで横に持って階段登る人見ると『常識ない人だなあ』と思うよ。
特に紳士風の人や美人さんがそうだとがっかりするよ。後ろの下の人の顔でも刺さないかとヒヤヒヤものだよ。」
「ヒデちゃん、合羽のかわりに昔の日本には蓑(ミノ)ってものがあったんだよ。今度調べて見なよ。」
「うん、ミノムシのミノ?」
「そう、そう」…。
「明日も雨らしいから、明日はお父さんが送っていこうか?」
「いいの?やったー!」
たばこの包装紙で作ったらしいよ。

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150,腹へったな

 中学校で教師をしている友達が、今から数十年前の新聞の切り抜きを見せてくれた。

 人影が消えた放課後の教室で、少し興奮した三年生の男子生徒たちに囲まれていた。

暴力やたばこなどで指導したことのある顔ぶれがそろっていた。

「これは、やられるかもしれない」。とっさに思った身構えた。


 中堅の先生たちは、首都圏の中学校で率先して「つっぱり組」の指導にあたっている。グループにとっては疎ましい存在だった。

グループの使い走り役の生徒に「先生、ちょっと来いよ」と呼ばれて、この教室に入った。

人数を目で追った。八人いた。彼らは机の上に、無造作に座っていた。自分も机に座った。椅子に腰かければ彼らから見下ろされる形になる。

体力には自信があった。二,三人が相手なら勝負にもなるが、これでは無理だ。いままで、荒れる生徒に面と向かって指導をしてきたが、切実に身の危険を感じたことは初めてだった。

「しまった。他の先生に声をかけて一緒に来ればよかった」。そう思ったが、もう遅い。

興奮すると手のつけられなくなる生徒が三人いた。

リーダー格の一人には以前、廊下で、後ろから蹴られて、倒れそうになったことがある。さらに追いかけられ胸ぐらをつかまれた。

「てめえ、何考えてんだ。あいつはオレたちと一緒がいいんだよ」そのとき太い学生ズボンをはいたその生徒が、少し声を荒げた。

よく聞くと、ある生徒にグループから抜けるように諭したことを問題にしていた。

「そうかなあ。先生はあいつの気持ちをよく聞いたつもりだ」。なるべく穏やかにしゃべった。

リーダー格の生徒の後方を見ると、廊下で蹴られたとき、「やめとけ」と仲裁に入った生徒が目にとまった。

「もし、やられても、あいつなら止めに入ってくれるかもしれない」。

淡い期待が頭の中をよぎった。

「日直の先生が、校内の見回りに来たら、助けを求めよう」とも思った。

 約一時間、数人が乱暴な言葉でしゃべり、自分がそれに答えるという状態が続いた。

一部の生徒がくたびれたような様子を見せた。「大丈夫だ」。

私の緊張はゆるんだ。

ほどなく一人の生徒が

「腹へったな」と言い出した。一対八の「対決」はこれで終わった。

 八人は一年生のときから、学年の担当として面倒を見てきた。担任した生徒もいる。
問題を起こしたとき、自宅まで訪ねて行って、長時間親と話し込んだこともある。

「信頼」という言葉を改めて思い浮かべる。「あの子たちとは、どこかでつながっていると信じていたじゃないか」。

それなのに「やられる」「助けは来ないか」と思った。あの場面、状況では仕方がないかもしれない。だが、自己嫌悪を感じた。

 二学期が始まった。彼らはあと半年で卒業する。敢えてかかわりを持とうとしない同僚も少なくない。

最近、教師でいることが少ししんどい。

 ちょうど校内暴力が社会問題になっていた頃の内容だった。

友達に「今の学校は、どうなの?」と聞いたら

「今の子供たちはあまりつるまないよ。ボンタンにリーゼントやパンチパーマなんて、もういないよ。

 髪型もそれぞれだし、敢えて言えば、子どもより、親の対応の方が大変なこともあるよ。…

毎日、朝早くから夜まで仕事はきついけど、人間相手だから楽しいことも多いよ。この記事ほどじゃないよ。」

「でも良く頑張るよなあ。」

友達は一言

「子ども達が好きだからね。」

その友達ももうすぐ定年を迎えるという。

だが、この記事をなぜ友達は私にくれたのだろうか?

腹減っていたのかなあ。

この貝もなんだかチョコレートのお菓子に見えてきたぞう。ああ腹へった。

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149,E=MC2(二乗)

 「お父さん、今日、学校で校長先生が校庭の隅の草刈りやっていたので、ちょっと友達と行って見ていたんだ。」

「そうか。やりたくなっただろう?」 

「うん、最初、僕は丸いノコギリみたいな刃でやっているのかなあと思っていたけど、僕たちが近づいたら、エンジンを止めてくれて、機械の先を見せてくれたんだ。丸い刃じゃなかったんだよ。なんだと思う?お父さん?」

「ナイロンみたいな細い紐だろう?」

「えっ?何で知っているの?」

「お父さんも草刈りで何回か使ったことあるんだよ。」「そうなんだ。

校長先生に『それで切れるんですか?』と聞いたら

『勢い良く回すとこんな紐でも草は切れるんだよ。』と教えてくれたんだ。チャイムが鳴ったので、それ以上聞くことができなかったけど、すごいなあ、と思ったんだ。」

 「で、お父さん、なんで紐みたいな軽いものが勢いよく回ると刃物みたいになるの?」

「ヒデちゃん、エネルギーとかパワーとか聞いたことあるかい?」

「うん、勢いみたいな感じ?」

「うん、それで良いよ。ヒデちゃん、ちょっと考えてみて。」

「うん」

「いいかい、今これノック式のボールペンだけど、机から1cmの高さからノックの方を下にして落としたらどうなる?」

「何にもならないんじゃないの?」

「じゃあ、これを1mくらいの高さから落としたら?」

「なんとなくロックがかかりそうな気がする。」

「じゃあ、やってみようか?」

「僕にやらせて。」…

…「本当だ。高さが高いと勢いがつくんだね。分かった。」

「では、このボールペンをビルの三階から落としたら?」

「うーん、勢い良すぎて壊れちゃうんじゃないの?」

「その通りだ。ちなみに東京タワーや東京スカイツリーから小石を落としたら、ピストルの弾より速いらしいよ。」

「へーっ、危ないね。」

「位置が高いものほどエネルギーが大きいことは、なんとなく分かったかい?」

「うん。」


 「高さだけじゃなくて、実は運動しているものも、速度つまりスピードが大きいほど、エネルギーが大きいんだよ。」

「そうなんだ?」

「だから、あんな軽いナイロンの紐でも高速で回転すると草を刈れるくらいのパワーは出てくるんだよ。しかも連続で草にあたるし…。

以前に、道路を走っている車のタイヤが外れて、それが対向車にぶつかるという事故があったけど、外れてもタイヤはすごいスピードで動いていたから想像以上の事故になったらしいよ。」

「それも怖いね。」…

 「ついでだから、ヒデちゃん、この世の中で一番速いものはなに?」

「突然聞かれても分からないよ。」

「そうか。実は光なんだよ。秒速30万km。地球の周囲が4万kmだから、30÷4=7,5で、光は1秒間に地球を7周り半。」

「あっという間だね。」

「アインシュタインという人が考えた相対性理論によると、光の速さの宇宙船で地球を飛び出して行ってまた地球に戻ってくると、自分たちは年を取っていないのに、地球では100年以上も過ぎてるとか、浦島太郎の世界になるらしいよ。」

「へえっ?面白そう。」


 「ちょっと難しいけど、今、身近にあるものが光の速さで動いていたら、そのエネルギーはすごいよね?」

「うん、なんとなく分かる気がする。だって、この世の中で最高の速度で動いているんでしょ?」

「うん、この考えが、原子力や原子爆弾の考えなんだよ。

アインシュタインは、これを簡単な数式で表したんだよ。

エネルギー(E)=物の質量(M)×光速(C)×光速(C)

つまり

E=MC2(二乗)


 アインシュタインは、日本が大好きだったけど、自分の考えが予想外に応用されて作られた原子爆弾が広島、長崎に落とされたことを知り嘆き悲しんだらしいよ。」

「僕、今度、図書室でアインシュタインの本を読んでみようかな?」

「今度、エネルギーのこと、校長先生にも聞いてみな。」

「うん。」

最多の犠牲者を出した広島市立第一高等女学校(現舟入高)の慰霊碑 原爆という字が許可されず、アインシュタインの数式を刻む

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148,螺子(ネジ)


 「おーい!ヒデちゃん、ちょっと来て!」…

「 なに?お父さん?」

「うん、これ、何に見える?」

「階段?」

「そう階段だよ。で、ヒデちゃんは、二階に上がるのになぜ階段を使うの?」

「だって、エレベーターがないから。」

「それもそうだけど、なんで直接行かないの?」

「だって、ジャンプできないし、棒やはしごで登って行っても大変だし…」

「階段は、楽だけど、たくさん歩くから時間がかかるよね。」

斜面の図

…「この絵は、階段から段をとったものなんだ。斜面というんだけどね。」

「うん」

「この図のAに行くのにCから行く方が距離は長いけど、楽でいいよね。」

「うん、Bからだと距離は短いけど大変、ということだよね?お父さん。」

「そういうことだ。じゃあこの斜面を紙だと考えて、棒に巻き付けたらこんな感じになるよね。」

斜面を棒に巻き付けたもの

「うん」

「この模様、今まで見たことない?」

「床屋さんのあれ?」

「赤白青でくるくる回っているやつかい?ちょっと違うな。よーく考えて。」…

「なに?お父さん?」

「実は、これはネジの模様なんだよ。」

「ネジ?…アッ、そうか。分かった。分かったよお父さん。

直接打ち込む釘だと手で押してもダメだからトンカチなど使うけど、ネジだとドライバーで沢山回すかわりに手の力は楽ってことだよね。」

「そうだ。良く分かったなあ。ネジは斜面の応用なんだよ。お父さんが子供の頃、家を建てる大工さんの仕事なんか好きでよく見ていたけど、ほとんど釘を使っていたなあ。

しかも、釘を口に入れていたなあ。」

「なんで口に入れたの?」

「打ち込んだ釘が錆びて抜けないようにするって聞いていたけどなあ。」

「へえ、そうなんだ。」

「でも今は、ほとんどネジを使って建てているよなあ。

ネジを回す電動工具も発達してきたし、ネジの頭もマイナス-だけじゃなくプラス+が出てきたし…。

今、ネジがなかったら、大変だよ。自動車もビルもあらゆる機械に色々な大きさのネジが使われているからね。『人類最大の発明だ』と言う人もいるよ。」

「ふーん。」

「ヒデちゃん、日本にネジが入ってきたのは、種子島に鉄砲が漂着した時からだって。難しいネジ作りを日本の鍛冶屋さんもよく頑張ったものだよなあ。」

「すごいね、お父さん、じゃあ、それまでは日本にネジはなかったんだ。」

「そうそう、刀だって柄の所の目抜き穴に入れるのは竹だからなあ。釘もあまり使わないように木と木をうまく組んでいろんなもの作っていたから、それもすごい文化だと思うけどね。」

「うん」

「幕末に小栗上野介がアメリカ視察に行って、帰りに一本のネジを持ってきたとか、頭がプラスのネジを発見したことで工場の組み立て作業が一気に向上したとか、調べると面白い話が結構あるよ。」

「うん」

「ヒデちゃん、宿題あげるから調べておいて。

①山を登るときの道なんだけど、なんでくねくねと横に曲がりながら登るの?

②床屋さんのあのくるくる回るものの名前と由来。どう?大丈夫?」

ラジャー!

「おっ、無線用語も使えるのか。よし頑張って!」

「はあーい」

プラスネジが誕生したのは1935年ごろの米国。 自動車メーカーで広く使われるようになったことから、世界中に普及していったということだが、このプラスネジを日本に初めて持ち込んだのは、あのホンダの創設者である、本田宗一郎氏だといわれています。
※ネジの名前は、日本語に捻る(ねじる)からです。フランス語ではビスです。英語ではスクリューです。木にねじこむネジは木ネジとは言っても木ビスとは言いませんし、先端は尖いて、ドリルの刃先のようになっている鉄板にねじこむネジは鉄板ビスと言って鉄板ネジとは普通言いません。結局呼び名は適当に付けられ、言いやすさとかマスコミ発とか社会が受け入れた言葉が生き残っているようです。
※「ラジャー」という言葉は、仲の良い友人との会話やメールなどの中で、了解の意を示すために使われる言葉ですね。大人だけではなく、子どもが遊びの中で使っているのもよく聞くなじみのある言葉です。
 何語かわかりにくい「ラジャー」ですが、もともとは英語。アメリカの男性の名前「Roger(ラジャー)」が語源になっています。
 英語での無線通信では、メッセージを受信したことを伝える時に「received」の頭文字をとって「Roger」を使っていました。短い言葉でわかりやすく伝えるためにアメリカ人の男性に多い「Roger」が選ばれたのです。

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147,変わりゆく言葉

「ありがとう」と言っている人のイラスト
あした!(ありがとうございました)

 NHKのアナウンサーがラジオで語っていたことが、妙に耳から離れないので、ちょっと皆さんとも考えてみたいと思い書いてみました。

●「楽しかったです。」は変な日本語である。

「 A君、今日の体育どうだった?」 「楽しかったです。」

「給食は、どう?」「はい、とてもおいしかったです。」

「今度の新入社員の女子はどう?」「ああ、はい、とても美しいですね。」

 私たちが何気なく使っている普段の会話ですが、実は間違っているのだそうです。私も一瞬ハッとしましたが、そのアナウンサーは、詳しく解説してくれました。

「です。」は名詞に付ける言葉。形容詞には「ます。」    動詞も「ます。」を付けるのが定説とされてきました。
ですので
    楽しかったです→楽しゅうございました。
    美味しいです→美味しゅうございます。
    美しいです→美しゅうございます。

名詞に「です。」はピッタリ: 本です。 電車です。 鉛筆です。

動詞に「ます。」もピッタリ:行きます。食べます。確認します。行きません。食べません。

 長い時間をかけて「形容詞」に「です。」を耳に慣らしてしまった原因は、どうやら 「でしょう」という言葉である。これが  一人歩きして色々なものに付き混乱させる

例:美味しいでしょう? 美しいでしょう? 行くでしょう? 食べるでしょう? 明日は雨が降るでしょう。 二階に行けば見えるでしょう。きっと見えますよ。

 言葉は生き物ですから、時代とともに変化し、どれが正しいということはないのですが、少し妙に思います。
 全然…ない→ 全然…大丈夫  食べられる→ 食べれる も同様ですね。※「全然良くない。」と「断然良い。」が混同されて使われているから「全然良い。」になったのでしょう。

 今後、動詞に「です。」がつく可能性もあります。 行くです。 食べるです。
現にスポーツ系の部員たち 行くっす。 食べるっす。 やるっす。自分で取って来るっす。…

優勝するっす。

また、海外の人たちもどんどん日本語を話すようになってきていますから、変化する度合いはもっと激しくなっていくでしょう。100年後の日本の人たちの言葉を仮に聞いたら、分からないことが多いでしょうね。「あざす」(ありがとうございます)「あした」(ありがとうございました)も辞書に載るかもしれませんね。

「楽しかったです。」も「とても楽しい時間でした。」というように間に名詞を入れると聞きやすくなるといいます。

※ついでに 普段、変に思っている言葉を挙げてみました。
●~させていただきます。
例:初め「これより式典を開催します。」 終わり「閉会させていただきます。」
「閉会します。」が上から目線に感じる人多いので…。

●「1万円からでよろしかったですか?」…何がよろしいの?「1万円、お預かりします。」の方が分かりやすいなあ。コンビニに限らず今どこでもこの言い方が主流ですね。

●忌み言葉?
 御多用でお忙しい中 (忙しいに亡が入っているから…)

では希望は? 亡が入っているよ。   スルメ→アタリメ  

ではスリッパはアタリッパが良いのか?

駿河もアタリガになっちゃうよ。           

道の字だって、生首を等間隔に置いたことからなので忌み字なのでは?

※言い出したらキリがないですね。部屋番号も今は「4」を普通に使っていますし…。

●どっちが本意?
汚名挽回 名誉挽回

劣勢挽回 優勢挽回        

健康回復 病気回復    

防犯対策 犯罪対策         

防災対策 災害対策    

復興対策 復興支援

嘘付け! 嘘付くな! 

まじ、やばい  まじ、やばくない?

全然良くない 全然良いですよ  全然OK  

全く良くない 全く良いですよ

●違いは? 
受験と受検 寄付と募金 授業と受業 混合と化合      物質と物体 協働と協同と共同 副作用と副反応
整理と整頓 基礎と基本 班活動とアクティブラーニング   募集と募ると応募  カリキュラムとシラバス        CTスキャンとMRI

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146,家族の支え


オール1の僕「ママ飯」で支えてくれた母
ガンガン泣かせたい

選手村に入るため、ボクシング男子ミドル級の森脇唯人(24)は18日夜、都内の実家を出た。

 玄関先で母・友美さん(44)とグータッチ。高校の時から変わらぬ、試合前の儀式だ。照れる様子もなく言う。

「周りからマザコンと言われるけど、僕はそこは否定しないっす」

普段は所属先で練習を終えると、母に電話やメールで連絡をとる。

「今週は糖質減らして」

「今日はとんかつが食べたい」。

仕事帰りの母がスーパーに寄り、ネットなどを見ながらリクエストした料理を作ってくれる。

 「めちゃめちゃうまいっすよ」。料理の写真を「ママ飯」と題し、自身のSNSに投稿している。自分を信じて、ずっと支えてくれる「ママ」が大好きだ。


 部活に入らず、授業中も居眠りばかりしていた中学時代。3年時の担任、松本洋平教諭(38)は「エネルギーの使い道を見つけられず、悶々としていた」。成績は「オール1」。

 母は何度も学校に呼び出された。中学3年の時、同じ都立高校を3度受験し、3度落ちた。

 最後の合格発表の日、掲示板に自分の番号がない。「働きに出るか」とつぶやいた背後で、母が泣き崩れていたと、後で父から聞いた。


 中学の卒業式後に合格が決まった定時制高校では、ちょっと心を入れ替えた。

最初の国語の期末テストは86点。50点以上取ったのは人生で初めてだった。「やればできるじゃん」。友美さんがうれし泣きしたのをよく覚えている。

その答案は9年たった今でも、部屋の一番高いところに飾っている。母が喜んでくれたことが、何よりうれしかった。

この高校でボクシングの出会い、長い手足と身長188cmの恵まれた肉体を武器に頭角を現した。高校3年の高校総体で3位。法大3年の時に全日本選手権で準優勝を遂げると、友美さんは「腰が抜けた」というほど号泣した。


 全日本選手権の連覇は「3」に伸び、たどり着いた東京五輪の舞台。
26日の初戦、相手のサイードシャヒン・ムーサビ(イラン)は、昨年3月東京五輪アジア・オセアニア大会予選で完敗した相手だ。何度もビデオを見返し、入場直前には電話で母の声を聞いてからリングに立った。「楽しんでおいで」

 距離を保ち、左ジャブを中心にした組み立てで、最後まで落ち着いて戦った。3-2で接戦を制した。

「母に、勝って自分の手が上がるのが見せられて、よかった。目が取れるくらい、ガンガン泣かせたいっす」

 自宅で見た母は瞳をウルウルとさせていた。

「でも、まだ泣くのは違うかな」。2人の夢は続く。

     (文:河崎優子・塩谷耕吾) 朝日新聞2021/7/27

2021・7・26 両国国技館にて 森脇唯人選手 長島一浩さん撮影
※もともと力があったんですね。やるべきことが見つかってその力を発揮。失敗を知っているだけに、いい大人になるだろうなあ。こういう生き方こそ金メダルですね。ずっと応援しています。

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