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205,幸運?不運?

友達が、詳しくこんな体験を話してくれました。
 

ある日、昨日に引き続いて、小鳥の小屋の制作。
大筋の骨組みは、昨日で出来ていたが、補強と金網の取り付けが今日の作業。

細い木材なので、ネジを打ち込んでも割れないように、細いドリルで穴を開けてからネジの打ち込み。
木材の切断はスライドカッターでやったので比較的均一に出来た。
全面金網張りの前に、止まり木や小枝などどこに置くかで時間を取られた。
止まり木の木材が足りないので、ホームセンターに購入に行く。

裏道を通って行った。
家の近くの小学校の手前の交差点で、急に出てきた白バイに
「止まりなさい!一時停止違反です!」

「ブレーキは踏みましたよ。」

「ブレーキをかけたのは、確認しましたが、完全に止まってはいなかったですよ。」

「そんな…」7,000円の罰金だという。

「免許証を見せてください!」

ところが…財布と免許証が見つからない。いつも入れているハンドバッグにあると思ったので探したが無い。車の中をすべて探したが無い。

家に電話した。午前中インフルエンザの予防接種で病院に行ったときの服から、机の上まで妻に見てもらったが無い。

「お金を持たずに買い物に行こうとしていたのか?」

独り言を言っていたら、保険証から免許証を照合した白バイの警官も同情し、「免許証不携帯は注意だけにしておきます。」とのこと、

「ゆっくり事故を起こさないように家まで行ってください。」
「もしどうしても見つからずに紛失したとしたら、紛失届を出してください。
電話だけで大丈夫ですから。」…。

聞けば、ここでつかまった人は、今日は3人目だとか…。

「あーあ、なんとついていない一日なんだろう。小鳥の小屋は、うまくできて良い気分だったのに…。」

 家に帰って隈なく探したが見つからない。今日の行動を振り返った。

午前中、最後に財布を出したのは、病院を出てから行ったコンビニでだったので、「ダメ元で、そこまで行ってみよう。」道が混んでいて、とても長く感じられた。

「財布の落とし物ありませんでしたか?」朝と同じ店員さんだった。

笑顔で迎えてくれた。

「どんな財布ですか?」

「色は緑で、中には2万円ほどと免許証が入っています。」

「少々お待ちください。」

奥から「これですか?」

「ああ、それです!有って良かった。助かった!ありがとうございます。」

店員さんは「次に並んだお客さんが拾ってくれたんですよ。良かったですね。」

「実は、今、一時停止違反で捕まって、免許証が無いことに気がついて、色々さがしたんですが、もしかしてと思って来てみたんです。藁をも掴む思いできました。有って良かったです。」

店員さんも人助けをしたようで微笑んでいた。

「何か買っていきますね。ありがとうございました。拾った方の名前とか分かりますか?」

「いや、聞いても何も告げなかったので、お礼とか連絡とか、それは無しで、良いと思いますよ。」

「そうですか。本当にありがたいことです。お金より大事な免許証があってよかったです。」

「財布と免許証は別にしておいた方が良いですよ。」という店員さんに深々とお礼をして、
気分は上々だったので、郵便局に違反金を支払いに行き、最初の目的であったホームセンターに行き木材を購入し、家に戻った。という話です。

「一時停止違反で止められなければ、財布を落としたことなど全く分からず、次の日になれば益々見つけにくかった事だろう。

ということは、この日は、俺はついていたのかな?
7,000円で、最後は小さな失望が大きな喜びに変わったのだから。
白バイの警察官にもお礼を言いたいくらい嬉しかったよ。」と言う。
続けて彼は言う。
「ただ、財布を落とさず、一時停止もちゃんとやっていれば何の問題もなかったので、以後気を付けること。財布と大事なものは別にすること。平凡な日々の有り難さがよく分かったよ。」

もちろん心配してくれた白バイの警察官にも免許証があったことを伝えたそうです。
そして、「ところで、この日の俺はラッキーだったのか?それともアンラッキーだったのか?お前はどう思う?」

私は、この友達に「良い方に考えたら、7,000円で色々な体験ができたのだから…それに様々な人達の温かさが良く分かったのだから…」

友達は「そうだな、これからは焦らず気を付けるよ。話してすっきりしたよ。」

そんなことを言っていました。


皆さんはどう思いますか?

私はすべて見ている。幸運か不運かは自身が決めよ。牛久大仏。

我朋友靠诉我下次的事情

有一天他还是老样子和往常一样开着车。
突然,后面的骑白色摩托车的警官大声地叫我「停车!」「停车!」。

我以为是说别人的事儿。没想到说的就是我。

他对我说「您知道那标识什么意思吗?您在【暂停标识】前没停车。」…「您违反了交通规则,是不是?」

我气鼓鼓地说「如果有人,有车我是打算停车的,所以剎着慢慢儿开车了。但是…」

「您的驾照拿出来!」

我有底气地说,「好的 」。

可是,驾照和钱包没在老地方。我慌乱地找了一找,还是没有。

我给太太打了个电话,让她找了一找我房间。
没有…没有…。

警官说「我理解现在的情况和您的心情。」

「就当作我没让您出示驾照,我只报告您犯了一个违反。好吗?」「所以您要去交7000日元。」

「慢点儿开车回家去吧。」

我马上就回家了。一到家我就找了好几次我房间里。
没有…没有…。「 我怎么办才好呢。」

我想起来了今天的从早上到现在的事儿。
早上我去了医院打针预防流行感冒。
然后去【全家】买了饮料水。

「啊!」我的确在【全家】丢了驾照。于是马上就去【全家】确认了一下。

服务员看了我一眼,笑容满面地说「今天早上,您后面的客人捡到了,他交给了我们。」「这个是吗?」

「真是我的!谢谢!谢谢您!」我感动地说。
我一下子放心了。要不然驾照找不到,我不能开车。

我真感谢他们。

(对他)这件事儿是幸运还是不幸。大家,你们怎么看?

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204,恋人紹介

皆さん!

新しい彼女を紹介します

最近、私に新しい彼女ができました。

彼女はとても可愛らしくて、とても綺麗です。

私が笑うと彼女も笑います。私がうなずくと彼女もうなずきます。

彼女は私より、かなり年下です。

私たちは、お互いに理解し合っています。

私は彼女が大好です。

恐らく彼女も私のことが大好きだと思います。

彼女と一緒にいると心が益々気持ちよくなってきます。

私は彼女を「ハイちゃん」と呼びます。

なぜなら彼女は「シンデレラ(灰姑娘)」のようだからです。

実家で私たちはとても楽しく過ごしています。

ただ、私は、彼女がどこの家のネコだかは知りません。

※ちょっと言葉遊びをしてみました。

※下手ですが、中国語に訳してみました。

私が新しい恋人ハイ(灰)です。私もいい人に巡り合えて幸せです。

大家!我给你们介绍一下我的新情人

最近我有了新情人。她又可爱又美丽。

我笑的时候她也笑。我点头她也点头。

她比我年得多。

互相理解。

我喜她。我得她也喜我。

和她在一起我的心情越来越好。

我叫她”灰灰”。

她看起来好像[灰姑娘]

在老家我们过很愉快的时间

但是我不知道她是哪家的一只小猫。

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203,荘子が面白い


 何年も前に、友達から「荘子って知っている?」
「孔子や孫子はなんとなく分かるけど、詳しくは知っていないよ。」
「そうだよな、みんなその程度だと思うけど、荘子も面白いぞ。」
本も勧められ、一応手に入れたが、読む機会がないまま数年が過ぎていた。
部屋の片付けをしていたら、本から語り掛けてきた。
読むほどに引き込まれていった。
掻い摘んでほんの一部を紹介します。
荘子

心の自由を説く古代中国の思想家「荘子」 またその著書「荘子」
 今からおよそ2300年前に成立したとされる「荘子」は「一切を有るがままに受け入れるところに完全な主体性が確立する。」と説き、のちの禅の形成に大きな影響を与えた。

荘子は個人なのかグループなのか老子や孔子、はたまた孫子などとの関係や違いも知れば知るほど面白い。
荘子は、物事の良し悪しを直球で論ずるのではなく、寓話という形で示し読み手に考えさせています。
言葉で語るのは限界があると知っていたからです。

社会秩序を守るために管理や罰則などに縛られている現在社会、グローバリズムと言っても、欧米的価値観の押しつけだったり、様々な民族や宗教もあり、絶対的に正しというものはない。

知る者は言わず、言う者は知らず
天から見れば全てのものは等しく釣り合っている。

言葉には私情が必ずはいる。言葉には限界がある。
言葉を超えた無限の広がりを持つ「」がある。
孔子は人の道を「道」で示したが、
老子や荘子は人間社会ばかりでなく、宇宙まで広げ、あらゆるものの生成や存在まで含めた「自然科学」的にとらえて「道」としている。

また、「人も物も存在自体に意味がある」と説いている。


 達成すべき目標を決めて、それを管理するシステムまでできている現在
やってもいいけど、命を縮めますよ」と荘子は言うでしょう。

 武道でも試合で相手の動きを想定して考えるより、「無心」でいる方が強い。
何も考えていないというのがもっとも速やかに反応できる状態。

明日できることは今日はやらない」と思わないと休めない。

役に立た無いと思うものが役に立つ
価値というものは、市場経済だけでは測れないほどたくさんある。

自然のままに生きていくこと
人が考えたものは大して価値がない。等々。
人間社会にだけこだわっていた自分の生き方、物の見方が変えられそうになった。
現代社会で役立つ内容が沢山ありそうに思います。

荘子から、広まった言葉

蝸牛角上の争い(ささいな、つまらない争い)
胡蝶の夢(自他を区別しない境地、はかない世の喩え)
朝三暮四(同じ結果なのに、気付かず、目先の差のこだわる)
鵬程万里(はるか遠い道のり)
無用の用(役に立たないように見えても、見方を変えると大いに役立つ)
明鏡止水(一点の曇りもない澄んだ心)
・我未だ木鶏たりえず(相手が挑発しても動じない)双葉山が使用
大器晩成…「大方は隅なく、大器は晩成し、大音は声かすかにし、大象は形なし」から。
(四角は大きくなると角が見えなくなり、無限の音は聞こえる領域を超え、ものを無限に大きくしていくと、その姿かたちは捉えられなくなる、そして大いなる器は完成するのが遅い)など

参考:NHK100分で名著「荘子」「老子と孫子」 岩波文庫「荘子」中公新書(福永光司著)岩波書店「荘子鶏となって時を告げよ」(中島隆博著)朝日新聞2015・11・23文化文芸欄(宮代栄一編集委員の記事)他



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202,左手

《左手を出しなさい!》

  左手をひざに置いたり、ま、とにかく、机から手を下ろして書いている方がありますね。
どうして?それが楽なのでしょうか?
書くのは右手ですので左手はどこにあってもどうということはない、そういう気がするのかもしれませんね。

 ところがですよ、その左手は、そんなふうに、右手が書いているときに暇な手ではないようです。

 ある書家の方に伺ったお話です。
その書家の方が交通事故であったのか、何であったのか、左手に大けがをされて、右手だけしか当分使えない、そういうことになった時に、
その書家の先生は「ああ 良かった。これが右手だったら、本当に大変だった。左手でよかった。」と言ってよろこばれたそうです。

 ところが間もなく、その先生は、ひとつの発見をなさいました。

右手は、なるほど何のけがもしていない、全く無事のようです。

けれども、その右手に筆を持って書かれた時、どうしても前のように力が入らなかったそうです。
体を倒すようにして左のひじを机に着け、そうして書いてみるといくらか書きよかったそうです。

 その時、その書家の先生は、「書くのは右手だけれど、左手が一体どんな役割をしていたものなのか、
いま、左手を失ってみて、いろいろに体の工夫をしながら、左手のしていた仕事をからだ全体で補うようにして字を書いている間に、左手のはたらきをしみじみ考えた。」そういうお話なんです。

 みなさん!左手を出しなさい!。
左手は何にもしないようだけれども、本当は右手を生かしている左手だったんです。

(大村はまさん「おりおりの話」より)

左手を出しなさい!
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201,巣立つ人たちへ

<巣立つ若者たちに贈るメッセージ>

君たちの前途に幸あれとエールを送る 栗の木とキノコ

 僕は、カメラが好きで、やたら写真を撮る。旅に出かけるときには、トランクの半分がフィルムで埋まってしまうほどだ。「へたなテッポウも数うちゃあたる」と…。

というわけで、なかには自分でもびっくりするほどうまく撮れているのがある。

 しかし、何といっても、いちばんむずかしいのは人物写真だ。

カメラを向けると、たいていの人が意識して構え、なかには直立不動の姿勢になってしまう人もいる。
こうなると、とてもいい写真は撮れない。人物写真のコツは、あくまで自然なポーズをとらえることだからである。

さんざん苦心したあげく、僕は、写真を撮るよりも、撮られる方がむずかしいのではないかということに気がついた。

 僕も写真を撮られることがあるが、そのとき、どんな顔をしたらいいのか、とまどってしまう。
いくら注文をつけられても堅くなり、ポーズは益々ぎこちなくなる。

 ところが、写真家の話によると、撮られ方のじつに上手な人がいるそうである。
そういう人だと撮影は簡単にすみ、いい作品ができるのだが、
撮られ方がまずい人だと、長い時間かけてもいい写真は絶対に撮れない、と、
そのカメラマンは述懐していた。

 たしかにそうだ。僕は、大いに共鳴した。

 ところで、同じことが学校や社会についてもいえるのではあるまいか。
どんなにいい先生についても、また、どれほど長く学校に通っていても、教えられ方が下手だったら成果は上がらない。

 が、たとえ先生の教え方がまずくても、就学年限が短くても、教えられ方がうまかったなら、どんどん伸びていく。
とすれば、問題は「られ方」だということになる。そう、大事なのは「られ方」なのである。

「教えられ方」さえ自分で工夫し、努力すれば、その人はかならず大成する。
デカルトは学校をやめて「世間という学校」に転校し、世間から大いに学んで大哲学者になった。
彼は、教えられ方がうまかったのだ。

「教えられ方」がうまいということは、「一をきいて十にする」ということだ。
どんなに悪条件でも、そこから何かをつかみとるということだ。ハンディキャップを十二分に活用することだ。

 これから「社会という学校」や「いままでとは違う学校」へ入っていく若い諸君。

君達の上司や先輩や先生はかならずしもいい人やいい先生だとはかぎらない。
けれども「教えられ方」さえ一生懸命自分で心がければ、きみたちはきっと成功する。
そのような自分を何より大切にしてほしい。

    (評論家 森本哲郎さんの話より )

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200,中途半端


「お父さん、クラスの友達で友広君を知っている?」

「ああ、あの小柄な子だろう?」

「うん、この頃元気がないんだ。」

「どうしたんだい?」

「うん、ちょっと聞いてみたんだ。」

「そしたら?」

「うん、『最近元気ないけど、どうしたの?』って聞いたら、
『僕は何をやってもみんなに勝てないし、中途半端な自分が嫌なんだ』って。」

「で、ヒデちゃんはどう答えたの?」

「うん、『そんなこと言うなよ。僕だって中途半端だよ。
みんなだってそう思っているよ。
ただ、そんなこと考えないだけじゃないのかなあ。だから、一緒に遊ぼう。』って誘ったんだ。」

「そりゃあ、ヒデちゃん偉かったね。」

「でも、僕も友広君と同じで、中途半端な自分を少し考えちゃったよ。」

「そうか。それは、ヒデちゃん大人だって同じだよ。自分に自信のある人なんてそんなにはいないよ。」

「そうなんだ。」

「お父さんも学生の頃、同じように中途半端な自分が嫌でちょっと自信をなくしていた時に、ある先生がこんな話をしてくれたんだ。

人は縦に生きるか、横に生きるかどちらかだ。
縦に生きる人は、才能もあるんだろうが、一つの道を精進する。
横に生きる人はいろいろなことをやり、仲間をたくさん作り、自分にあった道を探す。
君は、中途半端な自分が嫌だと言っていたけど、いろいろなことをやってみな。
それぞれ中途半端でも、『塵も積もれば山となる』ではないが、沢山の中途半端を集めれば、一つの道を極めている人より高くなるかもしれないだろう?

一概に中途半端な自分を責めてどうする。いろいろなことに挑戦してみるんだよ。
遊びでも、習い事でも何でもいい。
きっとそれが役立つことがあるから。
無駄なことは一つもないよ。
新しいことに挑戦する気持ちが自信に繋がるんだよ。だから、縦と横で生き方考えてもいいんじゃないのか。
中には、斜めに生きる人もいるけどな』

そんなことを言われたよ。それからは悩まなくなったなあ。」

「そうなんだ。『中途半端もたくさん集まれば山になるのか。』」

「そういうことだ。」

「僕、友広君にも話してみるよ。」

「ちゃんと話せるか?」

「大丈夫だよ。」

「よし。」

「僕、友広君と一緒に空手でも習おうかな?」

「ああ、いい考えだ。そしたら、お父さんにも教えてくれよ。」

※縦に生きる人も、やがては横に広げて、更に自分の道を磨くし、横に生きる人も自分の好きなものが見つかったら縦に生きていく。最初の入り方の問題ですね。

私は、一人では他の花には勝てないから数で勝負しているの。

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199,読書の楽しみ


「子どもの頭をよくするには?」いろいろなことが考えられます。
さらに「その中で一番大事なことは?」と聞かれたら、私は「読書・本を読ませる」と答えます。
 フランシスベーコンは「書くことは、正確な人を作り、話ことは、機転の利く人を作り、読書は広く物事を知っている賢い博識家を作る」と言っています。

読書の良さは、昔からいろいろと論じられていますが、こんな迫り方をした雑誌がありました。メモと記憶に頼ってまとめてみました。

《読書は楽しいよ》

 野口英世は、黄熱病の発見者で世界的な医学者です。野口英世は、もとの名を野口清作といいますが、彼は、高等小学校を素晴らしい成績で卒業し、医者になるために東京に出て医術開業試験を見事一回でパス、人々をあっと言わせました。

ところがどうしたことか、そのころから彼は洒を飲み、遊びの昧を覚え、借金をし、またその金で洒を飲むといった毎日が続きました。
そこで友人たちは、清作の顔を見ると、また借金を申し込まれるのではないかと恐れ、顔を合わせないよう避けて通るようになってしまいました。

 こんな時、たまたま坪内逍遙という人の書いた作品で「当世書生気質」という本が評判になり、清作もその評判にひかれて読んでみました。ところが清作はその本を読んでびっくりしました。

なぜなら、その小説の主人公が野々口(ののぐち)清作といって、野口清作とは野々口の「々」があるかないかの違いだったからです。
しかも、その野々口清作は、人々から秀才といわれ医学を専攻している。それがいつの日か遊びにふけり、
ついには身を持ち崩すという内容です。 野口清作は、この小説を読んで考えました。

「これは自分のことを書いているのではないか、自分もこのままでは野々口清作と同じような生涯を送ってしまう。
こうしてはいられない」。そう思った彼は、それを契機に名を英世と改め、心機一転、勉強に励んだといいます。

 皆さんはこの話を聞いてどう思いますか。
つまり彼は、読書を通じてもう一人の自分を発見し、現実を見つめる糧としたのです。

●次に読書の三つの効用を書きます。

①その本の著者と対話できること。
 「一人、灯のもとに文を広げて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる」(兼好法師)


②読書の良いことは、どこでも、いつでもできること。「読書随所浄土」


③本を読むと、顔が引き締まって美しくなるということ。(日本教育新聞から)

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198,名前

この雲たちは何という名前なのかなあ?

 突然、自分の名前を呼ばれるとハッとします。
それが誉められることで呼ばれたならば、嬉しいですね。
逆に叱られる時はきついですね。
誰でも自分の名前は気になるし、一番大事なものだから固執します。

会社や学校でも「おはよう!」と誰に言っているのかわからない挨拶よりも
「田中さん、おはよう!」と名前を付けられると、自分にだけ言ってくれていると思い嬉しさが倍になりますね。
「鈴木さん、ありがとうございました。」「佐藤君、ちょっと手伝って!」

名前を付けて会話をすると、仲間意識が高まりますね。どんどん活用したいですね。
 時々、今日は「何人の、誰の名前を呼んだかなあ?」そう思うときがあります。

アメリカ人の友人にそんな話をしたら、彼は、子どもの頃、習い事をしていて、
その時の先生は、普段は彼を「ブレッド」と上の名前で呼んでくれるんだけど、
叱られるときは「サックス!」と下の名前で呼ばれたよ。
だからそんなに大きな声を出さなくても「サックス!」と言われると「はい!」って緊張したなあ。
今、振り返ると、先生は、呼び方を変えることで、うまく指導してくれたんだなあと話してくれました。
 また、友達同士でも、日本人より名前を多く呼んで話をするとも言っていました。
「ピーター、助けて!」
「マイケル、本とって!」
「ローラ、これ奇麗でしょ?」など。

 あるAという会社の代表が、同じ職種のBという会社と合併したいと考えていました。
もちろんAの方がBよりも大きな会社です。
何度か話し合ったのですが、合併という結論には至りませんでした。

A社の代表はいろいろ考えて、
「合併後の社名は、B社の名前にします。」

「ええっ?」驚いたのはB社の方でした。

A社内でも「うちは、B社より格下ではない。」とか
「わが社がB社に吸収されたと世間は思う。」とか、結構な反対はありましたが

「うちは名前にはこだわりません。それより合併してこの業界の規模を大きくし、人々に還元したいのです。」

「名前を捨ててでも…そこまで考えていらっしゃるのですか…それならば。」と合併は成功したそうです。

※大きな目的のためには、名前にこだわりすぎないことの良い例ですね。  
  
参考:D・カーネギー「人を動かす」

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197,赤とんぼ

 

オニヤンマ

 以前、故山本文郎(フリーアナウンサー)の講演を聞いたことがあります。その時のメモが出てきました。今読み返しても、良い内容が沢山あります。せっかくなので紹介したいと思い載せました。

○父は医者で、母は薬剤師。一人息子。
生まれたときから七代目の家業をと期待されていたが算数は大の苦手。
「お前が医者になったら人を殺す。」と担任に言われたこともあります。

○医者だった父が広島で被爆し、病院で亡くなる前に、父から言われたことは「友達をたくさん作りなさい。相談できる友達、そして、自分に無い所をよく見て付き合いなさい。」ということでした。

○アナウンサーになりたいと思ったのは、オリンピックヘルシンキ大会で『フジヤマの飛び魚』といわれた古橋選手の活躍を見事に伝えた実況放送を聞いて、
言葉の魔力に引かれたことが大きなきっかけだと思います。

○アナウンサーは、大きな声でなくともいいんです。
ちょっと張り気味の声を出すと明るく、遠くまでよく届きます。
低い声は伝わりません。
若い頃はよく練習させられました。
壁まで届くようにお腹から出す練習をさせられました。

○戦時中、島根に疎開していた経験からも、言葉には関心を持っていました。
東京弁が全く通じない世界でした。
最初は、外国へ行ったような感じでした。地方の言葉、方言には方言の良さがあります。
方言は、標準語ではうまく置き換えられません。決して標準語が素晴らしいわけではありません。
首都が東京だったから東京弁が標準語になっただけです。
首都が京都だったら標準語は京都弁だったでしょう。
言葉は言霊です。気持ちを伝える道具のようなものです。
言葉が最初にあるのではありません。気持ちが先です。

○機内アテンダント(スチュアーデス)の方を前にして話すこともあるんですが、「標準語ばかりでなく時には…、」目の前に青森出身の人がいたとしたら
「郷里青森の方言で少しはアナウンスしたら?」といいます。
機内には、同じ郷里の方が必ずいます。標準語では伝わらない温かなものがスッと伝わるはずです。
そういう意味で、地方の方はバイリンガルですね。郷里が近づくにつれて口から出る言葉は郷里の言葉になっていますね。

○江戸時代、松の廊下で諸大名はすれ違うときどんな挨拶をしていたと思いますか?無言の会釈です。
お互いに言葉が通じないからです。
諸国の江戸家老が通訳?
おそらく仕草や言葉は江戸家老のまねをしていたんでしょう。

○日本語は、50音が基本。「あいうえお かきくけこ…」何度も練習させられました。
「あいうえお…」は口を開かなくても続けて言えますが「あえいうえおあお」は口を開けないと何を言っているのか分かりません。音楽や演劇でよく発声法の練習として使われていますね。

○日本語は音の高低で、英語は音の強弱で成り立っています。
「赤トンボ」「彼氏」「映画」皆さんはどう発音されますか?
若い人ほど平板に発音しています。
山田耕筰さんは言音一致で作曲していました。ですから、「赤とんぼ」の歌の中の「あかとんぼ」の発音が当時の発音です。アクセントは時代によって変わります。
生きているんですね。これが正しいということはありません。

○「十五夜」「15円」「産後」鼻濁音は、二音節以後の言葉で使うときれいに聞こえます。
外来語や数字は、濁音で読む方が伝わります。「ギンギンギラギラ夕陽が沈む。」

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196,笑顔

美味しそうな古酒。思わずにっこり、早く飲みたいよう。

 着飾った婦人がいる。化粧もばっちり、だが、笑顔がない。
「あなたちより私が一番」という顔で周りの人々を見下し、優越感に浸っている。

この婦人を見て彼は思った。
「この人に欠けているものを、この人は気が付いていない。
どんなに素敵な衣装、どんなに時間と金をかけた化粧、高級な香水、
それより笑顔が大事だということに、この婦人は気が付いていない。
笑顔は誰でも作ることができる。またその笑顔によって心の中も奇麗に浄化され、人を引き付けていくのに…。」

 

ある商店の店主が嘆いていた。「最近客足が少なくなってきて、やりくりが大変だ。」
厳しい顔が益々厳しくなってきていた。

 その店主に、彼(D・カーネギー)は「もしよかったら、私の講演会に来てくださいよ。」と誘ってみた。

「何の講演だ?」

「きっと商売にも役立ちますよ。」

店主は、それ程興味はなかったが、行ってみた。

講演後、講師の彼は、店主に声をかけた。

「店長さん、良いですか?一週間だけ私の言うとおりにしてみてください。」

「何ですか?大変なことですか?」

「いや、簡単なことですよ。今から、一週間、会った人すべてに笑顔で対応してください。家族にもですよ。」

「そんな簡単なことですか?」

「出来ますか?」

「出来ますよ。それくらい。」…

早速、店主の彼は、それを実行に移した。

一番驚いたのは彼の奥さんだ。朝起きて彼は、にっこり「おはよう!」

「えっ?あなた、どうしたの?気でも狂ったの?今までの不機嫌そうな顔はどうしたの?」

「そんな不機嫌な顔をしていたか?」

「そうよ。話しかけるのも恐いくらいだったわよ。」

詳しい事情を説明すると、奥さんも協力して一緒に実行するようになった。

お店に来たお客さんに、笑顔で「いらっしゃいませ!」
すると、不思議なことに、次の言葉がどんどん出てきて、お客さんとの会話が弾むようになった。

一週間後、店はいつ行っても賑わうようになっていた。

「今まで私たちは大事なものを忘れて商売していたんだわね。」

「ああ、お前の笑顔も素敵だよ。」

「あらっ、あなただって。ずっとそうしていると嬉しいわ。」


※偉人と言われる人たちやリーダーとして慕われる人たちは、確かに笑顔がすごい。人々が引き込まれていくはずだ。
笑顔は神様が人間にだけくれたものなのだからうまく使えるといいですね。

         参考「人を動かす」(D・カーネギー著)