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259,政治蚊

ブーン!蚊さん、止めてくれよ。

 最近、暑い日が続き、蚊の出番も多くなってきた。

社内の会話も蚊のことが話題にのぼることもある。

「あのブーンという音は嫌だよなあ。俺はO型だから蚊に刺されるんだ。」
「血液型に関係ないらしいよ。」

「高層ビルには蚊がいないらしいよ。上までいけないとか聞いたよ。」

すると友達が「その蚊も嫌いだけど、俺の大嫌いな蚊は『政治蚊』って奴。選挙の時はニコニコ良いこと言って、当選したら派閥とかの長の言いなりで、自分の意見を持たなくなる。その長だって大国の機嫌伺ばっかり。
『ゼーゼー(税税)』と鳴いて庶民の生き血を吸い取る。あいつら寄生虫だよ。」

「お前、手厳しいなあ。」

「本当の政治家を育てる学校でも作って養殖しなきゃダメだ。」

「養殖と来たか?」

「世界的、全地球的な視野で物事を考えられる人物をな。」

「それこそ人類の永遠の課題だな。」

「だから、庶民の上に立つ政治家は、しっかりして欲しいんだよなあ。」

「確かに…。」

「選ぶ側も責任があるよね。」

「確かに…。」

いつも話は、この辺で萎んでしまう。

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258,3%


「お父さん、消費税って面倒くさいね。」

「ああ、買い物が一つや二つだと計算すれば大体わかるけど、たくさん買ったときに、レジで思わぬ金額に驚くことあるよなあ。」

「僕ねえ、『客からとった消費税分は、ちゃんとお店の人は、国に納めているんだろうか?』と疑問を持つことあるんだよね。『うちは内税でやっています』というお店は納める必要がないし…。」

「そりゃあ御上のすることだからちゃんとやっていると思うよ。でないと物を買った人だけ割り損になるだろう?」

「うん、それなら安心だね。」

みんな自分のものばかり買って

「話が違うけど、今日、先生がね。3%という数字を出して

「これが何だか分かりますか?」と僕たちに問いかけたんだ。

『消費税とか割引…とか』出たけどそれ以上出てこなかったんだ。

すると先生は『これが、世の中を動かしている数字です。』
一瞬、何のことかわからなかったけど、先生が詳しく説明してくれた。

『国を動かす人も全体の3%、お金を動かしている人も3%、このクラスを動かしている人も3%、チームや団体を動かしている人も3% 物事によって人の違いはあるだろうがほぼこの3%になるというんだ。』

「じゃあ、野球や芸能界もそうなの?」

「そう言うことだ。」

「ピッタリ3%なんですか?」

「ピッタリということではないよ。『昔々、浦島太郎がいました…』これを来年話したら『昔々+1年、浦島太郎が…』とは言わないのと同じで、大体ということだよ。」

「ああ、そう言うことなんですね。」

「私は、君たちにどの道でもいいから3%に入るよう頑張って欲しいからこの話をしました。
お金でもいい、物持ちでもいい、友達持ち、歌や趣味、運動…何でもいい、好きなこと得意なこと伸ばして行って欲しいなあ。」…

「先生!じゃあ、今日の話、分かった人も3%ということですか?」

「うん、それじゃ困るけどなあ。」
先生は笑いながら答えたんだ。」

お父さんは「なるほどよく聞く話だけど、3%は良い話だよ。」と息子に言いました。

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257、障碍者を狙う?

  • 近所の青年の体験談から(68話面白そうだな と同じ内容)
いつもお世話になっております。色々な客がいるので大変ですね

 駅近くのコンビニで、本を立ち読みしていたら、同い年か?一つ二つ下位?の三人の大学生らしき若者が何やら楽しそうに話をしていた。

 聞く気もなかったが、三人の話は、車いすの子を陰からエアガンで狙ってそれを楽しんでいるような話だった。

「自動車の陰から45度ぐらいで狙うんだ。当たった時の痛がってるあの顔、たまんねえなあ。」

「獲物のやつ、そろそろ帰ってくんじゃねえ?今日もやろうぜ。」

「あっ、そうそう、この前の、当たって痛がっている写真がこれだよ、ほら。」

「見せて!」

「俺にも」

「キャハハ、すげー顔。」…。

話の状況から、こいつら変だぞと思い、三人に近づき、

「面白そうだな、俺も仲間に入れてくれよ。」…

何こいつ?誰こいつ?…関係ないじゃん、と思った三人。

「関係ないすね。」

無視してやり過ごそうとするが

「おい、関係なくないだろうが、隣で人殺しの話してんのに黙っていろと言うのか?」

たたみかけるように

「俺、エアガンのやり方知らないからさ、教えて!…教えろよ!覚えたらお前らを撃ちまくるから。」

「えっ?何言ってんですか?止めてくださいよ。痛いですから。」

「は?痛いんだ。自分はやられたくないんだ?…だったら止めろよ!」

「……」

「車いすで抵抗できない弱い者を狙わず、俺みたいの狙ってみろよ!…俺を打ってみろよ!トコトン追っかけてつぶしてやるから。」

仲間の一人が小声でつぶやく「大ごとになっちゃたよ。だからこんなところで話すんじゃないって思ってたのに…。」

「俺さ、警察に知り合い多いから…、この辺にも仲間もいるし…。これって犯罪だよな?…な?」

「すいません。お金なら出しますから、聴かなかったことに…。」

「おい、ふざけんなよ!俺は割上げしようなんて思っちゃいねえよ。お前ら、どっちかというと、いじめられてきた部類だろう?…
学生証見せろよ。…出せ!嫌なら警察に連絡するぞ。さっきの写真がばれてもいいのか?大学も退学だぞ。」

……顔を見合わせてしぶしぶ出す三人。

「なんだ、●●大の三年と〇○大の三年生か。高校の頃の仲間か?」

「いえ、中学校の同級生です。」

…「大学生が良いのか?こんなことして?」

「すいません。」…。

コンビニの店員さんが様子が変だと感じ、こちらに来た。三人が変な人に脅されていると思ったんだろう。

「どうしたんですか?何かありましたか?」

「大丈夫、何も揉めていませんよ。俺は客、こいつ等は只の立ち読み、しかも犯罪計画立案中。」

…「警察呼びましょうか?」

「大丈夫、大丈夫。警察来たら困るのは、こいつらだから…ほら、おねえさん、お客さん待ってるよ。仕事に戻って!」

そうしているうちに、三人の誰かの母親が自動車で迎えに来た。

母親は、コンビニに入るなり一瞬で、異様さを感じ、「うちの子達どうしたんですか?」厳しい目つきで、攻めるように聞いてきた。

「聞いてくれますか?お母さん、実は、この三人…」
今までのすべてを丁寧な口調で話した。だが、母親は、はいそうですか、と素直に受け取れず、半信半疑。

「そうだ。お前のさっきの写メ撮ったやつ、みんなで楽しんでいたよなあ。今日もやるとか相談してたよなあ、あれ、お母さんに見せてやれよ。そうしたらお母さんも俺の話が分かるから。」

「えっ?」「えっ?」

「えっ、じゃねえよ、早く見せてやれよ。」

…三人は、いやいや写真を母親に差し出した。

「ええっ?これは…」母親は見てびっくり。

「耕ちゃん、どういうことだか説明して!」

「…」何も言えない三人。

「お母さん、だから言った通りでしょ?これ犯罪ですからね。警察呼びましょうか?」

「すいません。…私たちどうすればいいんですか?」

「そりゃ、そっちで考えて決めてくださいよ。こっちは、警察に出してもいいけど、そんな気はないですから。
もう20歳過ぎているんだから、こいつら自身の責任でしょう?…。
お母さん、余計なお世話ですけど、自分の子供は、絶対正しいと思っちゃだめですよ。もっと悪いことしてるかどうかも分かんないですよ…、もう少し、しっかり子供を見てやった方が良いんじゃないですか?」

三人に向かっても「お前ら、二度とこんなことするなよな。『自分がやられて嫌なことは、他の人にはするな!』と、お母さんにちゃんと教わってきたんじゃねえのか?」

「すいませんでした。」みんなが頭を下げて、逃げるようにコンビニから出て行った。

その後、店員さんに「お騒がせしました。」と一礼し、約束通り、客として飲み物を買って帰ってきた。


という話です。映画のワンシーンのようで、この近所の青年がとても良い人に思えてきました。

※果たして彼の言っていたことが、彼らに通じたのでしょうか?

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256,加減

 

おっとっと、おっとっと。

 生まれて初めて子どもにジュースをコップに注がせるとき、気が気でいられなかつたことは、親なら誰でも経験したことでしょう。
その子には、加減というもの、ちょうど好い加減がわかりません。
手に力も付き、何度かやっているうちにその加減が分かってきます。

僕の方が少ないよ

料理の火加減もそうです。ちょうど好い適当な火加減や時間加減というものがあります。失敗しながら学んでいくんですね。

「好い加減」や「適当」というのは、人と人との関係でもいえます。

初めての場所、例えば入学、入社したての時は、どのような場所、仕事、どういう人達なのか分からないので、自分の居場所を探せず、また自分を出せずに緊張ばかりしています。

緊張しまくり

段々と時間が経つにつれて、その集団の中で自分の一番好いと思う居場所と自分の表し方を見つけ落ち着いてきます。

新入生、新入社員もまたいろいろな物事で「ちょうど好い加減」を手操りの段階なのだと思います。

経験は、いろいろな場面で物事のちょうど好い加減感覚をたくさん作ってくれます。

「いい加減」や「適当」という言葉は、今ではあまり良い意味では用いらていませんが、
本来はバランス感覚的な意味で、非常に良い言葉だと思います。

悪い方の言い方は、おそらく、全体も見ずに自分勝手に判断して「こんなものでいいだろう。」と手を抜いて、自分なりの加減をつくっているものに「自分一人で『いい加減』だと思っているやつ。」「自分一人で『適当』と思っているやつ。」といったことからきているのではないかと思います。

  度が過ぎると、クラスの友達や社内の周りの人たちは、面と向かつて本人には言いませんが、決して好くは思つていないということです。

「ものには、好い加減というものがある。」ということ。特に人間関係の中では、この加減が大事なのです。

ジュースは溢れるから…、料理は焦げるから分かるが…、時として、人は、気づかぬ所で信頼を失います…。
周りは、笑顔で対応していても、決して好くは思つていない…。自身の「バランス感覚」を時には客観視して見てはどうでしょうか?

 学校は、子ども達に知・徳・体のバランスがとれた人間の育成、会社は、できる社員・会社を発展させられる社員・社会に貢献できる社員・人として教養のある社員を育てたいと思っているはずです。
それぞれどの場でも、基本は、物事に「程好い加減」で対処できる人間でしょう。

「塩梅」も同じですね。
学業も仕事も家庭も「好い塩梅」でいきたいものですね。

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255,学ぶということ

「先人の言葉より」

 全く同じ話を聞いても、「いい話だった!」と感動する人と「つまらない話だった。」と思う人がいますね。

ということは、話の善し悪しは、その内容より、むしろ、聞く側の態度によって決まってくる。
聞く側に大部分の責任があるともいえる訳です。
ピューという風の音にでも悟る人がいるのですから…。

 今年も多くの方々が学校を卒業して社会に出られたことでしょうな。会社に入れば、同僚や先輩と机を並べて仕事をする。その場合、ただ単に自分に与えられた仕事のみやっていればよいと考えて毎日を過ごしていたら、あまり楽しさを感じることもできないでしょうし、ものごとを見る視野も限られてしまうと思いますね。

 僕は、会社というもの、あるいは社会というものは、人間なり、人生について教わる学校だと考えてみたらどうかと思うのです。
この学校には、いろいろな人間がいて、さまざまな人生模様が繰り広げられている。学ばなければならないことは無限にある。そう考えれば、人生を学び、人生を探究するために、何にでも進んで取り組もう、吸収していこう、そういう意欲も湧いて、日々楽しさも生まれてくるのではないでしょうか。

 発明王のエジソンは、小学校では、先生から劣等生扱いにされ、たった3ケ月で退学しています。
だから、学校では勉強らしい勉強はしていなかったのですな。
ただ、エジソンは、子供の頃から、物事に対する研究意欲は非常に盛んだった。

 つまり、自然現象や世の中のことを、ただぼんやりとながめてはいなかった。
すべてに対し「なぜ?」という疑問を発したのですね。

ときには、鳥を捕まえてきて、なぜ空を飛べるのかと、羽の構造を熱心に調べた。

 また、ある時は、止まっている蒸気機関車の下にもぐりこみ、油まみれになりながら、機械のしくみを調べていて、運転士にひどく叱られたといいます。それほど熱心だったわけですな。

そこに、多くの発見を生み出す根本があったのでしょうね。
いわゆる学問上の先生はいなかったけれど、自然の事物の中に、自分の先生を見つけ出した。

 つまりね、自ら開拓していこうという熱意に満ちて、心して物事を見、そこから学びとろうとするなら、道は無限に開かれている。
心構えしだいで、立派な師は、無数にあるということだと思うのです。

 一般に学校を出て社会に出ると、勉強する心を失ってしまう人が多いようですね。
しかし、そういう人は伸びない。
たとえ学校では目立たない存在であっても、社会に出てからコツコツと地道になすべきことをなし、学ぶべきことを学んでいる人は、後でぐっと伸びる人です。

 こういうことは、人の一生を通していえることでしょうな。
生涯、自ら新しいものを吸収し、勉強するという態度、よろこんで人びとの教えを受けていくという態度、そういうような態度を持ち続ける人には、進歩はあっても停滞はない。一歩一歩、年を経るにつれて着実に伸びていきます。
一年経てば一年の実力が養われ、二年経てば二年の実力が養われる。
さらに、十年、二十年と経てば、それぞれの年限にふさわしい力が養われる。

そういう人が本当の大器晩成というのでしょうな。       
      (「人生談義」 松下幸之助)

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254,都会?田舎?

若い夫婦がテーブルを囲み夕食をしている。

夫:「今日のこの魚は、えらい美味しいなあ。」

妻:「ご近所からいただいたブリよ。沢山釣れたからってお裾分けしてくれたのよ。」

夫:「こんな魚が釣れたら楽しいだろうなあ。俺も行ってみたいなあ。」

妻:「船を出してもらったりしているみたいよ。お金と暇がないと無理だわよ。」

夫:「そうか。だけどこの魚、本当に美味しいなあ。やはり天然ものだからかなあ。それとも君の調理の腕がいいのかなあ?」

妻:「フフフ、両方でしょう?」

夫:「確かに…」
夫:「ところでさあ。俺達に子供ができたら、都会と田舎とどっちで育てたら良いかなあ?」

妻:「えっ?それによっては、引っ越すの?」

夫:「すぐそっちの話しには、行かないでよ。俺は田舎育ちだから、田舎で育った良さが良く分かるんだ。」

妻:「どういうとこが良いの?」

夫:「一言で言うと、魚の天然物と養殖物の違いかなあ?」

妻:「どういうこと?」

夫:「田舎育ちは天然物で、都会育ちは養殖物ということ。
田舎は、山や川や田んぼ、虫、草花など自然が多く空気もおいしい。
それに、灯りもないから、星空も良く見えるよ。五感が育つ気がするよ。
田舎じゃ一人の人間の価値が都会に比べたら何百倍もあるよ。
都会じゃ隣近所でも挨拶もしないし、人というより物扱いでも平気だろうし…。
合衆国と同じで色々な地方の人の集まりだものなあ。」

妻:「でも不便よね。言葉も汚いし…。」

夫:「中学校位までは、塾も習い事もなく、毎日自由に遊べたなあ。楽しかったなあ。」

妻:「私、あなたの実家に行くと、分からない言葉が多いの。
『これ、うめーがらけー。』と言われても最初は?『これはうまいから食え!』と命令されているかと思ったわ。」

夫:「方言には、標準語にはない温かさがあるんだよ。
俺も標準語を話すようになったのは、高校生くらいからだよ。
学校では標準語、家や村では、方言でと使い分けて話していたなあ。ま、ちょっとしたバイリンガルかな?」

妻:「私は、方言で話せと言われても無理だわ。」

夫:「今は少しずつ、標準語に変わってきているけどね。」

夫:「犬や猫やニワトリ、近所では、ウサギや牛や馬や豚も飼っていたから、命の大切さは自然に学んでいたと思うなあ。」

妻:「私は犬も猫も大嫌い。見ているだけなら可愛いけど、飼うとなると毛は抜けるし、汚いでしょ?」

夫:「なんか癒しになるんだよ。犬に『2-1は?』と聞くと『ワン』と英語で答えるしね。」

妻:「ブーッ、止めてよ!噴き出したじゃないの。」

夫:「電車も1時間に1本とかしか来ないので、自然と時間には正確になるし、なんか失敗しても、次の手、次の手と考えるから、都会の人のように『これでないとダメ』というこだわりはないんだよな。」

妻:「それは、あなただけじゃないの?要するに、あなたは、子どもを田舎で育てたいのね?」

夫:「だから相談しているんだろう?
男の子、女の子によっても違うだろうけど…。」

妻:「私は嫌だわ。田舎の暮らしは…。」

夫:「じゃあ、この話は、またにするか。でも、やっぱり都会育ちは養殖ものだなあ。」

妻:「もういいわよ。ビール、もう一缶飲むの?」

夫:「ああ、ありがとう。」

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253,悲しみは…


 ある女性歌手が「先輩から言われたことだが…。」と断ってこんな事を言っていた。

悲しみには、言葉を与えなさい。
言葉には、(音があるので)音楽を与えなさい。


音楽には、喜びを与えなさい。
そうすれば、悲しみは喜びに変わる。

新型肺炎コロナの流行 ロシアとウクライナの戦争 交通事故 銃乱射事件…良いことばかりでなく、悲惨な事や不安な事が多い人の世で、自身で気持ちを切り替えることは、かなり難しい事かもしれないが、これも一つの方法ではないか?

「悲しみを喜びに変える」良い言葉だなあと思ったので書き留めておきました。

人はやはり言葉で生きているんですね。

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