カテゴリー
パナシ

326,バンダナ

最近、人を軽く見る猫がいるという。
要するに、人より自分の方が上だと勘違いしているのである。

 先日、ヨガの練習の時に、タオルというかバンダナかな?それををしっかりと頭に巻いてきた若者がいた。誰だかは、分かっていたが、おどけて「どちら様ですか?」

「なに、言ってんですか?」

「今日は、ドジョウ掬いでもあるんですか?」みんなが噴き出して爆笑。

「今日は、決めてきたんだけど、そう見えますか?」

「慣れれば、大丈夫ですよ。でも、普段通りの方がの私は好きです。」

「あっ、そうですか?」

「それに、ここは練習場所ですからね。」

男の子だから遠慮なく言ったけど、女性だったら、躊躇して言えない。
嘘でも「かっこいいですね。」とおべっかを言ったかもしれない。
「ドジョウ掬い」何て言ったら、どんなに仲が良くても一発で嫌われていただろうと思う。

 そんな話を空手の練習が終わってからしていた。

すると、道場長が「田山さん、今の話じゃないけれど、田山さんは、ハンサムだからドジョウ掬いって感じじゃないけど、練習中にタオルというかバンダナというか、それを頭に巻いているのは止めてくれないかな?
子ども達がそれだけで恐がっちゃうんだよ。」

「髪がうっとうしくて…うちの子供たちは、家でも私がそうだから、慣れていますけどね。」

「帽子と同じだから、練習中はやはり取ってやろうよ。」

「そうですか、分かりました。」

 道場長は、今まで、田山さんにいつ言うか、ずっと気にしていたのだろう。当の田山さんだけが気にしていなかったのである。

「なぜいけないのですか?」そう言いかねない田山さんだから。

ヨガのドジョウ掬いの若者の話で、道場長も言いやすくなったのだろう。

 本当に色々な猫がいることに気が付く。

イヤホンはJLab

カテゴリー
パナシ

パナシの無駄話

皆さんは、どう思いますか?

※現在378話あります。

お好きなタイトルから記事を選んで下さい。

→  メニュー画面

メニュー画面に戻るには、機種の[戻る] または[←]で

コメントを頂けると大変嬉しいです。

気楽に読んでください
カテゴリー
パナシ

325,ペコリ


「先輩、これって、どういう意味なんですかね?」

「どれ、どれ?」

スマフォの画面を見ると、「ペコリ」と書いてあって、お辞儀をしている女性の絵があった。

「お前さあ、どういう内容で発信したんだ?」

「彼女、脈がありそうなので、『今日、夕飯一緒に食べませんか?美味しいお店見つけたんですよ。』ってメールしたんですけど…」

「これさあ、『今日はごめんなさい。』にも、『ありがとうございます。OKです。』にもとれるよなあ。」

「だから、困っているんですよ。」

「じゃあ、もう一押しして、『5時半に忠犬ハチ公前で。』と打ったら、もっとはっきりするんじゃないのか?」

「そうですね、打ってみます。」…

「先輩、またペコリですよ。」

「じゃあ、更に狭めたものを打ったら?」

「はい、『暑いから、うなぎとビールで乾杯しましょう。』って打ってみます。」

「ああ、それが良い、きっと良い返信が来るよ。」…

「先輩、またペコリですよ。」…

「じゃあなあ、そっちがペコリなら、こっちはポコリって打ってみたら?向こうにも考えさせるんだよ。」

「はあ、それで失敗したらどうしますか?」

「俺には関係ないから、その時はその時で自分で考えることだなあ。」

「分かりました。」

「どうでもいいけど、面倒くさい女だよなあ。」

「そうですか?」

「お前もだよ。」…。

 皆さんは、どうですか?このような曖昧な表現にイライラしたことはありませんか?「了解です。」「OKです。」「ありがとう。」の意味でペコリ?
「断り、拒否の意味でごめんなさい。」の意味でペコリ? 

言葉をもっと足すのが良いのか、嫌われる勇気を持って尋ねるのが良いのか。

ちなみに、若い人に聞いたら「返信不要」の意味も含まれているとか…

ものすごく重要なことには使わない、とか。
それもそうだ。
社長からの昇進のメールにペコリでは、まずいだろうし…

 似たような行為に、「手を挙げる動作」がある。これも、感謝?、謝罪?、ちょっと待って?、ハイ私が?、分かりました、なのかが分かりずらい。

 口で言う『どうも!』も、感謝?、謝罪?なのかが曖昧。受け手が良いようにとっているから、うまく行っているのでしょう。
 「結構ですね」は、(いるの?いらないの?)

「ぺコリ」ってなに?…ペコンと同じ。缶がペコンとへこむ。ペコリと頭を下げる。ペコペコするな。ペシャンコにしてやるよ。文句言ったらペコンとしちゃって。
 
 この「ペコリ」を商標登録出来ないか?店の名前や会社の名前に使っている所も結構ありますね。ペコリ ぺこり PECORI…。

厚生労働省承認/眼科用医療機器【視力回復装置 超音波治療器「アイパワー」】

カテゴリー
パナシ

324,赤い蛍

妻:あら、もう蛍が飛んでいるわ。

夫:もうそんな季節かい?

妻:最近の蛍は赤いんだわね。

夫:そうかい?見間違いじゃないの?

妻:たばこの火のようだわね。

夫:そうかい?
だけど、蛍がたばこを吸うかい?

妻:分からないわよ。
最近たばこも売れないみたいだから…

夫:えっ?じゃあ、何かい?
だから蛍がたばこを吸っているっていうのかい?

妻:今の世の中、何があるか分からないじゃないの。

夫:そりゃあ、お前、宇宙人の考えだろが。

妻:いいえ、私は人間です。きっと私の見間違いですよ。

夫:そうだなあ。最近お前もボケてきているからなあ。

妻:止めてくださいよ。あなたじゃあるまいし…。

夫:じゃあ、蛍の世界もLEDになったことにしておこうか?
  俺達もそれについて行かなくちゃな。

妻:はい、はい。(横向いて 赤んべー)

こういう夫を、あなたは次のどれで表現しますか?

・ポンツク野郎 ・ぼんくら野郎 ・ポンコツ野郎 ・大馬鹿三太郎・耄碌(もうろく)爺さん

※但し、口に出してはいけません。あくまで心の中で唱えてください。


この夫、時には良いことも口にします。

・習い事も仕事も生活すべてに言える。自分で考えない人は、人の真似しかできない。
・運動は脳を変える力がある。 ・階段を見たら薬と思え。

キャッシュバック最大3万円!【au光】

カテゴリー
パナシ

323,未完成の美

 篠笛の演奏会の横看板を作ると言ったけど、なかなかうまく作業が進まない。

演奏者の顔にかからぬよう、長さの調整、釘もネジも使えないので、どうやって吊り下げるか?

 何度か現場に足を運び、寸法を測ってきた。
字は、どうする?自身の手書きでも良いが、万人受けするにはやはりパソコンの字体が無難。その小さな印刷の字体を大きくしたい。フリーハンドで写すには難しい。そうだ!プロジェクターを使って壁か襖に用紙を張り、それを鉛筆でなぞって写せば良い。そこまで考えが進んだ。
よし、やるぞ!鉛筆の線がまあまあ。

それを墨を付けた細筆でなぞる。手の震えが線に現れる。そして線の中を太筆で塗る。
「篠」「笛」「演」「秦」「会」が出来た。並べてみるとそれぞれの字が少しずつ傾いているように見えてきた。

用紙を少しずつ切って調整しようと思ったが、止めた。

自分の脳裏に「未完成の美」という言葉が通り抜けたからである。

調べてみると、

未完成の美や不完成の美とは、不完全なものに美しさを感じるという日本の美意識のことです。 「わび、さび」という美意識にも通じるものがあります。
わびさびは、不完全や不足を受け入れて、その中にある静かで深い美しさを感じることです。
 他にも、ミロのヴィーナスは腕が欠けているけれども、その欠けた部分に想像力を働かせることで、より美しく見えるという考え方です。
 マスクした顔が美しく見えるのも同じですね。

 日光東照宮の陽明門の柱は4本のうち1本だけ向きが反対なのは、魔除けのためと言われています。 陽明門の柱にはグリ紋という曲線の文様が彫られていますが、北側の西から2本目の柱だけ、グリ紋が逆向きになっています。 これは、「満つれば欠ける」という諺に従って、不完全な柱を加えることで、完璧なものに対する神罰や災難を避けようとしたと考えられます。

 私は、敢えて、今回の自分の失敗は、直しませんでした。

逆に、完成品を求めてピリピリするより、わざと失敗するぐらい大胆に作ってみよう。と腹をくくりました。

これでどんなに気持ちが楽になったことか。なぜ今までその境地にたどり着けなかったのか。

短い木材を長くする方法、クランクで締めて吊り下げる方法、画鋲の跡を隠す方法…これで行けると、言い切れた時の快感。

金をかけて、人任せもひとつの方法だが、自分で色々やってみると、得るものも多い。

今回は、「未完成の美」、「魔除け」を学んだ。

      格安航空券・飛行機チケット・LCC予約


カテゴリー
パナシ

322,胃瘻


 がん治療で入院していた友達が無事帰ってきた。

「よかったなあ、無事帰れて。」

「うん、大きい病院だったから、管理がしっかりしていたし、食事もおいしかった。

暑さ寒さも感じず、快適で、安心して入院生活ができたよ。

だけどなあ、自由に外に行ったり、食べたいものを食べたり、ちょっと遅くまでテレビを見たりという自由さがないんだよなあ。
そういう意味では、言葉が悪いけど監獄みたいだったよ。
規則正しい入院生活、それが自分にとって最良の方法だってことは分かっているんだけどね。早く家に帰りたかったなあ。」

「そうだったのか。」

「いいこともあったよ。病院でね、面白いおばあさんに出会ったんだよ。」

「へえ。」

「休憩室でテレビを見ていたら声をかけてきてね。」

「旦那さん、失礼ですが、お歳は、60代半ばですか?」

「いやあ嬉しいですね。72歳何ですよ。」

「お若く見えますよ。」

「そうですか?ありがとうございます。」

「私は、92歳何ですよ。」

「えっ?ウソでしょう?私には、70歳代に見えますよ。」
女優の草笛光子のように背筋が伸び、ショートカットできているものも粋でどこか品がある。


私は聞いた。「どこが悪いんですか?」

「喉頭がんなのよ。」

「そうなんですか。」

「だから、遺漏で食事をとっているの。」

「そうなんですか。」

「遺漏でバランスの良い食事ができるから長生きできたのよ。喉頭がんにならなかったら、好き放題な食事をしていたから、もうとっくに亡くなっていたかもしれないのよ。だから、がん様様、遺漏様様なのよ。」

「ちょっと待ってください。その考えって、凄い考えですよ。
普通じゃないですよね。
どうして、そう考えられるんですか?」

「私にも良く分かんないけど、人は自分で生きているようだけど、色んなものに生かされているのよね。
だから、色んなことに感謝しようと思えてきたの。がんのお陰、遺漏のお陰、お医者さんのお陰、世話をしてくれる華族のお陰、にこやかな看護婦さんのお陰、バランスのいい食事を考えてくれているスタッフのお陰…あなたのお陰で私は、気持ちよくこうやってお話ができるのよ。」

「へえ、素晴らしい。あなたは神様のような人ですね。良かったです。お話ができ、色々聞けて。」

「ああそう。私も嬉しいわよ。」

「それが若さと健康の秘訣ですかね。」

「私にも分からないですけど、感謝をしている時の顔は、自然の笑みに満たされていると言われますからね。」

「ふーん、がんにも感謝ですか…
私も92歳まで生きられますかね。」

「さあ、どうでしょう?でも、お仲間が増えたようで嬉しいわ。」…

そして、友達は、私に言った。

「良い話だったよ。俺、あの人に感化されたのかなあ。退院してから、俺、この所、調子が良いんだ。」

「ははは、頑張って長生きしろよ!」

「家の周りが草茫々だけど、『美味しい空気を有難う!』って感じかな?」

          ミラブルオンライン


カテゴリー
パナシ

321、2対1


  ちょうど今、空手の型の審査が武道館で行われている。

「3対ゼロ、赤の勝ち!」…

「2対1、白の勝ち!」…

3人の審判が一斉に紅白どちらかの旗を挙げる。数多く上がった方を勝者とする。武道等の試合では、似たような形式が多い。

 3週間後にジュニア大会を控え、この道場でも練習に励んでいた。

「今日は、大会と同じ試合形式で勝ち負けを判定する。審判は、田中師範、久本師範、藤木師範の3名。

名前を呼ばれた拳士(選手)は、大きな返事をして、前に出て演武するように、周りで見ている者は、自分が審判だったらどちらに旗を上げるか、胸の中で考えながら演武を見るように。

なお、今日は、旗がないので、右手が赤、左手が白とします。

では、全員起立!正面に礼!お互いに礼!」

呼び出しの係が
「これより、型の部に入ります。」…「赤、小林太郎!」
「ハイ!」 
「白、大石大貴!」
「ハイ!」
二人が並んで礼をし、場が落ち着いたら「入ります!どうぞ!」二人の型の演武が始まります。

 二人の型が終わると、主審が「判定!」と叫ぶと同時に他の審判が、優っていると思う方の旗を挙げる。

「2対1、赤の勝ち!…一礼して下がって!」


 次の対決練習は、花本君と木村君の小学3年生同士の対決だ。私は、二人の演武を見て、全体を見ると恐らく、白の花本君が「3対0」で勝つだろうと思っていた。
そこで私は敢えて、部分演武の良かった赤の木村君に手を上げた。主審の久本師範が「2対1、白の勝ち!」…。

 その後、ほかのメンバーの型、組術、組手など、全員の対戦が終わった。

 休憩の時、赤の木村君がツカツカと私に寄ってきて

「手を挙げてくれてありがとう。」

私は「上手かったよ。特に、突き蹴りの勢いが花本君より良かったよ。」と演武の部分を誉めた。そして、「試合当日は、会場の雰囲気に飲まれないようにもっと大きな気合を出した方が良いなあ。」

「ハイ!」。

もし、私も花本君に挙げていて「3対0」で負けていたら、木村君は、しょげて自信を無くしていたかもしれなかった。こんなに素直に私の話も聞かなかっただろう。

 3週間後、本番のジュニア大会で、木村君は、なんと準優勝を果たした。

おそらく、3週間前のあの日、家に帰ってから木村君は、ビデオを見たり、自分の課題練習に励んだのだろう。
あの時の私の彼への甘い判定が少しは役に立ったのかなあ。
そう思うと嬉しい。
それにしても子ども達は、一旦自信を付けると、それがエネルギーとなって大きく成長する。
大会の審判も、細かく見ると色々である。全体で見る審判、部分で見る審判、気合、勢いで見る審判、正確さで見る審判、自分の道場の選手には絶対に挙げない審判…。子ども達は、そういう洗礼を受けて上手くなっていく。
伸びるきっかけがどこにあるのか、なかなか分からない。

カジタク 家事代行サービス