
同僚二人が帰り道、何やら話をしている。
「お前、イエスバット法って知ってる?」
「えっ?野球の話か?」
「ははは、違うよ。人と話すときの会話術みたいなものさ。」
「なんだ。俺は、野球でバッターがバットに『打ってくれ!』というとバットが『ハイ、イエス』と返事をするのかと思ったよ。」
「まさか、ははは…」

「で、それはどうやって使うの?俺にもできるの?」
「うん、例えば…そうだな、
例えば、会社帰りに、千葉にいるのに、『今日、これから新宿に飲みに行こうよ。』と上司に誘われたとき、どうする?」…
「俺は早く帰りたいけどなあ。もっと近くなら、まあ、いいけどなあ。」
「その時、『ええっ?近くにしませんか?』とストレートに言うと、上司もイラっとするだろう?」
「まあな。」
「そこで、一応、上司の言い分を受け入れて、『ですが…』とか、『だけど…』『でも…』とかで柔らかく言い返すんだ。それがイエスバット法なんだよ。」
「ふーん、受け入れるからイエスで、『だけど』だからバットか、なるほどね。」
「今の話もそれを使うと『今日、これから新宿に飲みに行こうよ。』と上司に誘われた。まず受け入れて『良いですね、新宿で一回飲みたかったんですよ。
でも…、課長、高いんじゃないですか?
それに、この時間ですよ。もう少し近場にしませんか?』
『近場で美味しい店を知っているのか?』『はい、錦糸町辺りなら…』
『じゃあ、任せるぞ』…
それで丸く収まるだろう?」

「まあな。だけど気心が知れた者同士だったら、そんなに気を使う必要もないんじゃないの?」
「そりゃそうなんだけど、会社の会議や自治会の会議、仕事上の人との付き合い…どういう人間か分からない人と接することの方が多いんじゃないか?」
「確かにな。」
「これは、人間関係を円滑にする一つの方法なんだよ。」
「そうなのか。これまで、話し方をそうやって整理して考えたことなんかなかったなあ。」
「他にもイエスアンド法(付け加え)、イエスイフ法(もし…だったら)、イエスハウ法(どうしたら)、イエスワット法(何)、イエスソーザット法(だからこそ)なんかもあるみたいだよ。」
「待て待て!そんなに一度に言うなよ。要は、相手の話を、まずは受け入れるってことかい?」

「そういうこと。」
「それで相手が調子に乗り過ぎるってことはないの?」
「たまにはあるだろうな。セールスマンのトークをよく見てみなよ。
結構こういう会話術を勉強していて、それをうまく使っているからね。」
「言葉で騙しているんだな。」
「元々話し上手、聞き上手で、こちらのことを本当に考えている好い人もいるけどね。」

「アッ。」
「どうしたの?」
「俺さ、子どもの頃、中卒で東京に就職した先輩が、盆休みに田舎に戻ってきたとき『東京で怖いのはネクタイをした奴らだ。言葉巧みに人を騙すからな。』と言っていたのを思い出したよ。」

「本当に言葉遣いって難しいよな。」
「ああ。俺も少し考えて話そうかな。
今まで、『思ったまま』、『本音一本やり』で生きてきたからなあ。」
「そうか?フフフ、ああ、そうだね。フフフ。
そこがお前の良い所だと思うけどなあ。
『巧言令色鮮少し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)』で、やり過ぎも行けないよな。」
「なんだそりゃ?日本語か?」
「ああ。今日は、遅いから、明日、また詳しく話すよ。」
「ああ、じゃあ、俺は、こっちへ行くから、お疲れさん!」
「ああ、お疲れさん。」

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