ある大学の先生が、ラジオで嘆いていました。
どの大学にもあった教養学部がみんな専門学部に代わって、今あるのは東大のみとか。専門と教養の例えで、こんな話をしていました。

ちょっと昔のことですが、あるお父さんの話です。
息子が国鉄に受かったので、ちょっと良い時計を買ってやろうと思いました。鉄道人は、時間を大切にしなければならないので一番役立つだろう。そう思って町の時計屋さんに行きました。
ところが、値段を見ると、少しだけお金が足りなかったのです。
店主に事情を話し、少しだけなので、足りない何円か負けてくれませんかと頼んだが、一切譲る気はなく…、
そのお父さんは、その日は家に帰ってきたそうです。
店の人は商売の専門家ですから譲らないということは正しいことなのです。
ですが、教養人として見た場合、事情を聞いたら、多少のさじ加減をし「出世払いで、お負けですよ。頑張るよう伝えて下さい。」とでも対応したら、お父さんも息子さんもどんなにか喜んだことでしょう。
専門家は、専門的立場で考えますから、情に左右されないのが正しいのです。が、教養人としては、ちょっと見方が狭いんじゃないですか?と申し上げたい。
専門学部も確かに必要です。が、それ以上に人としての教養(生き方や考え方)を育む教養学部はもっと必要ではないか。
大きな事件などあるとTVなどで専門家が解説している時があります。分かりやすい解説者は非常にありがたい。ですが、専門用語や横文字を多用し、一般の人には何を言っているのか分からないような人もいます。
この人は本当に分かっているのか?と疑いたくなります。「聞き手に分かりやすく」という配慮がないからでしょう。
分野の違う専門家同士の会議では、結論をまとめることは、まず無理でしょう。それぞれが自身の正しさを主張しますから。
特に、人の上に立つような人は、すぐれた教養人、徳を持った人であってほしい。
そのような内容だったと思います。皆さんはどう思いますか?

僕は手作りトンファ 少し曲がっているけど、ほぼ真っすぐです。
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