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パナシ

57,私は、田舎人

 

 実家から今の住まいに帰るとき、夕方は、特に寂しさを感じる。父や母がまだいた頃も「気を付けてけーれ(帰れ)!」の言葉が胸に浸みた。なので、実家から帰るときは、できるだけ午前中にしていた。

 また、母の生家は坂道を登ったところにあり、子どもの頃よく連れて行ってもらった。行きの坂下から見る風景は楽しみのあるものだった。「はやぐこー!(早く来い)」母の優しく温かな声が今でも忘れられない。帰りの坂上から見る風景はなんとも寂しかったのを覚えている。

 最近は、一日の太陽を見ても同じ気持ちになる。南中するまでの午前中は「あれやろう、これやろう」と希望がある。だんだん日が西に向かうに従って一日の終わりを感じ、寂しくなってくる。


 実家の周りは、田んぼで囲まれている。田植えが終わったこの時期、嫌なことがもう一つある。

それは、夜、田んぼ道を自動車で走っていると、ヘッドライトに照らされた道に無数のカエルたちが、我がもの顔に出て来て遊んでいること。轢かないようにと思っているが、何匹かは犠牲にしているだろうと思う。止める訳にはいかない。道はそれしかないのだから…。大きくても3~4cm位のカエルたち。

「恨まんでくれ!自分は、悪い人間だ。」プチ、プチ。嫌だけど田舎に住んでいる限り仕方のないことだ。「この道危険!」とカエルたち用に立て看板を出したい気分。

 思いは、あちこち飛んでいく。田植えが終わり、水を張った田んぼには、農薬を使わなかった頃は、ドジョウがたくさんいた。

小学校に入る前、父とドジョウ刺し(櫛のように針がついているドジョウを上から刺してとる道具)を持って捕りに行ったことがある。懐中電灯はなかったので、灯は、松の根(ヒデボッカと呼んでいたもの、ボッカとは木の塊の意味で使っていた)に火をつけたものだった。松の根には油が有り火持ちがいいので、タイマツにも使われていた。そう考えると昔は、松の木がいっぱいあった事に気が付く。戦時中は、松の根を絞った油で飛行機を飛ばそうとも考えていたらしい。

 骨っぽいドジョウの卵とじは、好きな食べ物ではなかった。…
懐かしさに浸っていると、あっという間に家に着く。

 「お帰りなさい。お風呂ちょうど沸いているわよ。」妻の明るい声。

 ここから先、私は、標準語に切り替えなければならない。  

物悲しい田舎の一日の終わり

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