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「ヒデちゃん、これ何の話か分かる?」
「えっ?どんな話?お父さん?」
「うん、今から500年位前の話なんだけどね。1520年にアメルカのニュージャージーの農場主でもあったロバート・ジョンソンさんが、自分で育てた植物の実が、実は食べられることを証明するために、町の広場に人々を集めて、自分で食べて見せようとしたんだ。」
「そうなんだ。それで人々はどんな反応を示したの?」
「うん、みんなその実は、毒だと信じ切っていたからね。『止めさせて!あの人死んじゃうわよ』、『あいつは気違いだ』、『見ろよ、あの血のように毒々しい色の実を』…
ジョンソンさんは、これから食べるその実を皆に見えるように高く掲げ、そして、おもむろに口まで持っていき、ガブリ。」
会場がシーンとなったんだ。
この様子を見ていた人の中には、ギャーッと叫んだり、目を閉じたり、気絶してしまう人さえ出るほどだったんだよ。
二口、三口…全部食べ終わっって、『どうですか?私は大丈夫ですよ。これは食べられるんですよ!』と両腕を広げてそうアピールするジョンソンさんに、大きな拍手が贈られたんだよ。
毒がないことを示されて以降、食用として認知されるようになったとか。」
「お父さん、なんとなく分かったよ。それトマトの話でしょ?」
「そうだ。その通り!良く分かったね。トマトの話なんだよ。後には、ジョンソンさんの勇気ある行動を称え、ジョンソン・デーというお祭りも開催されていたんだって。
今では信じられないような話だけどが、当時の人々にトマトはかなり恐れられていたようだね。」
「イタリヤ料理とかでよくトマトを使っているけど、もともとはどこの物なの?」
「お父さんが調べたものでは、トマトはペルーのアンデス高原付近が原産で、元々はミニトマトのような小さな実が鈴生りになるチェリータイプで、そのトマトを人や鳥類が食べながら種を拡散させ、次第にメキシコに伝わっていったとするのが有力な説らしいよ。」
「ヨーロッパに伝わったのは、新大陸発見の頃で、実際にコロンブスが持ち帰ったのかどうかは分からないけど、この大航海時代に、じゃが芋、トウモロコシ、唐辛子などと共に運ばれたらしいよ。
でも、その後ヨーロッパでも、猛毒を持つベラドンナという植物の実に似ていたため、毒を持つ植物と信じられ食用にされなかったんだって。
そのトマトを最初に食べたのは、飢餓に苦しむ南イタリアの青年が、空腹に耐えかね、観賞用のトマトを食べてみたところ、死なないばかりか美味しいことを発見したんだ!
それから、トマトは、地中海沿岸の南ヨーロッパを中心に、食用に広まっていき、マルタの主要農産物の一つになっていったわけなんだって。」
「それって、アメリカのジョンソンさんが食べる前の話だよね。お父さん」
「そうなんだよ。意外なことに、南米原産のトマトが北米で食べられるようになったのは、ヨーロッパよりも更に200年以上遅れたそうだよ。」
「面白いね。」
「日本にトマトが入ってきたのは17世紀で、やはり当初は専ら観賞用に使われ、食用の歴史は、江戸の終わりか明治に入ってからだったそうだよ。」
「そうなんだ。でお父さん、トマトって野菜?果物?」
「アメリカの当時の税法では、果物は無税だったものの、野菜には関税がかかっていたので、
「トマトは果物か野菜か」の論争が巻き起こり、結局、裁判で悩みに悩んだ挙句に「トマトは野菜」という判決が下されたそうだよ。
今もそれを引き継いでいるみたいだよ。」
「そうなんだ。トマトは野菜ということにしちゃったんだね。お父さん、トマトの話のように食べられないと思っている物も、実は食べてみると美味しい物が他にも結構ありそうだね。」
「アケビって、ヒデちゃん知ってる?」
「うん、あの種ばっかりの甘いやつね。」
「あの皮は山形の方では茄子と同じように扱って味噌汁に入れたり、てんぷらにして食べるんだって。そう山形の友達が言っていたよ。」
「へえ、僕、初耳だよ。お父さん。今度食べてみたいなあ。」
「それにはお母さんの協力が必要だな。」
「機嫌の良い時に話してみようかな?」
「うん、そうだね。」
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