オール1の僕「ママ飯」で支えてくれた母
ガンガン泣かせたい

選手村に入るため、ボクシング男子ミドル級の森脇唯人(24)は18日夜、都内の実家を出た。
玄関先で母・友美さん(44)とグータッチ。高校の時から変わらぬ、試合前の儀式だ。照れる様子もなく言う。
「周りからマザコンと言われるけど、僕はそこは否定しないっす」
普段は所属先で練習を終えると、母に電話やメールで連絡をとる。
「今週は糖質減らして」
「今日はとんかつが食べたい」。
仕事帰りの母がスーパーに寄り、ネットなどを見ながらリクエストした料理を作ってくれる。
「めちゃめちゃうまいっすよ」。料理の写真を「ママ飯」と題し、自身のSNSに投稿している。自分を信じて、ずっと支えてくれる「ママ」が大好きだ。
部活に入らず、授業中も居眠りばかりしていた中学時代。3年時の担任、松本洋平教諭(38)は「エネルギーの使い道を見つけられず、悶々としていた」。成績は「オール1」。
母は何度も学校に呼び出された。中学3年の時、同じ都立高校を3度受験し、3度落ちた。
最後の合格発表の日、掲示板に自分の番号がない。「働きに出るか」とつぶやいた背後で、母が泣き崩れていたと、後で父から聞いた。
中学の卒業式後に合格が決まった定時制高校では、ちょっと心を入れ替えた。
最初の国語の期末テストは86点。50点以上取ったのは人生で初めてだった。「やればできるじゃん」。友美さんがうれし泣きしたのをよく覚えている。
その答案は9年たった今でも、部屋の一番高いところに飾っている。母が喜んでくれたことが、何よりうれしかった。
この高校でボクシングの出会い、長い手足と身長188cmの恵まれた肉体を武器に頭角を現した。高校3年の高校総体で3位。法大3年の時に全日本選手権で準優勝を遂げると、友美さんは「腰が抜けた」というほど号泣した。
全日本選手権の連覇は「3」に伸び、たどり着いた東京五輪の舞台。
26日の初戦、相手のサイードシャヒン・ムーサビ(イラン)は、昨年3月東京五輪アジア・オセアニア大会予選で完敗した相手だ。何度もビデオを見返し、入場直前には電話で母の声を聞いてからリングに立った。「楽しんでおいで」
距離を保ち、左ジャブを中心にした組み立てで、最後まで落ち着いて戦った。3-2で接戦を制した。
「母に、勝って自分の手が上がるのが見せられて、よかった。目が取れるくらい、ガンガン泣かせたいっす」
自宅で見た母は瞳をウルウルとさせていた。
「でも、まだ泣くのは違うかな」。2人の夢は続く。
(文:河崎優子・塩谷耕吾) 朝日新聞2021/7/27
