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パナシ

250,恩師とラジオ

 田舎の小さな村で育った私は、中学を卒業したら、親の後を継いで大工になろうと思っていた。勉強そっちのけで、毎日いい加減な生活を送っていた。

周りのみんなは、高校に行くとか言っていたが、自分には関係ないと思っていた。

ところが、中二の時、担任が、東京から来た若い女の先生になった。

最初は 、バカにして、話は聞かず私語ばかり、ノートはとらず、ひどい時は、カエルや蛇を教室に持ち込み授業妨害さえしていた。

ある日、その先生が昼休みに、私を呼び止めて、放送室に連れて行った。何か分からないけれど、叱られると思った。

「どうしてバカなことばっかりやっているの?将来は、どうするの?
これからは、頭を使う時代だよ。高校に行けるよう頑張りなさい。あなたは良いもの持っているんだから…」思いっきり頭を殴られたように思った。
先生は、私をよく見ていてくれたんだ。
そして、行くべき道まで示してくれた。

 その後、自分の中に変化が起きた。

その先生の授業は、真剣に聴くようになった。英語と歴史を教えてくれた。当然その教科も好きになった。

学年末の予餞会では、クラス代表で劇の役にも推薦してくれた。

だが、その先生も1年間で都会の学校に異動して行った。
「ええっ?なんで?」
支えを失ったようで寂しかったし、悲しかった。
布団の中で一人で泣いた。

1年後、何とか地域では、名門と呼ばれる高校に入れた。

 高校に入っても、大学なんて行く気もさらさらなかったので、毎日が部活三昧。
ところが周りの友達たちは、大学の話ばかり。

私も、少しずつその波に飲まれていった。高二の夏休み直前に、勉強に専念するために部活動をやめた。(部活動のおかげで体力は相当ついた)

ただ、自分一人での勉強は、いつも計画倒れと反省で前に進まなかった。

反省ばかりの日々

その時、すがりついたのがラジオである。たまたま聞こえた文化放送の「大学受験講座」、これで救われた。

田舎なので、電波の受信状態が悪く、ザーザーという雑音交じりでも、毎日定時に、ましてや今のように録音なんてできない時代だったが、集中して楽しく学習で来た。

夜10時から始まって2講座で11時位までの時間だったと思うが、主の内容の他、大学状況や流行っている歌など余談も面白かった。

ザーザー、大学受験講座始まりますよザーザー

スポンサーの旺文社さんも力が入っていた。「豆単」など見ても分かるが、会社自体が受験生を何とかしてやりたいと思っていたのがよくわかった。

片田舎で情報が少ない自分にとっては、この放送がなかったら大学どころではなかった。成績も伸びず腐っていただろうと思う。大学に行きたいと思う私の心に火をつけてくれた番組である。

 そして、行きたい大学も少しずつ考えるようになってきた。国立で東京の工業系の大学に行きたかった。
が、家庭の事情で家から通える大学、しかも受験は1回のみ。やる気がどんどん失せて成績も下降気味。気持ちが攻めから守りになっていった。

「どこでもいいや、とりあえず入れれば…」
結局、進んだのは、国立の教育学部…。教師になるつもりもなかったので、4年間は、部活動とアルバイトと遊び(麻雀)…
(自由で何者にも縛られない経験が後ですごく役立った)

 卒業時、民間会社を受けても、自身の気持ちがしっくりいかず…。

受かったHONNDAも鈴鹿では遠すぎた。

結局は、翌年、教師の道を選び…教育センター、中学校、小学校、教育委員会、大学、高校の評議員等々…今に至っている。

 いつもいい加減で、後で大事なことに気付く。
そんな人間ですが、今まで出会った人々、特に中二の時の担任、ラジオの文化放送「大学受験講座」、大学時代の友人たち、職場の先輩・同僚には、本当に感謝しています。

教師の道を選んで、たくさんの生徒や保護者、恩人に出会えたこと、今は、自信を持って良かったと言えます。「人間万事塞翁が馬」ですね。
現場建築は、できなかったが、少しは、人間建築らしきことができたかなあ。

励めども、いまだ恩師に追いつけず

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