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パナシ

375,表現力


息子がお父さんに話をしている。

「今日、学校で落語家(噺家)の人が来て、体育館でいろいろな話をしてくれたんだ。」

「そりゃよかったな。で、どんな話?」

「うん。
ウナギ屋の前で、ウナギを焼くその匂いでご飯を食べた人がいてね。
お店の人がその人に
『こら、匂い代をよこせ!』と言った。

その人は、少しあったお金を道に投げたんだ。
そして素早く拾い上げて
『そっちが匂いだけなら、こっちは音だけだい。』
と言って一目散に走って行っちゃった、という話。面白かったなあ。
みんな大笑いだったよ。」

「その話、お父さんも聞いたことあるぞ。」

「そうなんだ。でも、僕は、その後の話の方が良かったなあ。」

「どんなことだい?」

「ある人が、財布を無くしたんだって。」

「それで?」

「普通に言えば、『一生懸命に探した。』これで済む。
だけど、少しその言い方を変えると、『血眼になって探した。』『目の色を変えて探した。』『無我夢中で探した。』『ムキになって探した。』『死に物狂いで探した。』『ありとあらゆる場所を探した。』…

ね、お父さん、違うよね。同じような意味でも、言い方によって聞く人の心に入っていく度合いが違うよね。

その噺家の人は、これを『表現力』と言ってたんだよ。」

「そうだね。」

「それでね、『表現力を磨くには、本を読んだり、人の話し方から学んだりすると良いんだよ。』とも教えてくれたんだ。

シンプル』と『分かりやすさ』は、違うんだって。

政治家の人たちがよく言う『地域の人たちの理解を得ないと…』と『地域の人たちの納得を得ないと…』も意味が全く違うからよく考えて聞く方がよいとも…

でね、話や文章のうまい人は、表現力が豊かで分かりやすいんだって。」

「その話は、お父さんにも参考になるなあ。
よく『難しい話は易しく、易しい話は深く、深い話は面白く』って言われてきたけど、そうだよな、そこに表現力の豊かさが加わるんだよなあ。」

その噺家さんは、他の例も挙げてくれてね、『食べる』と『平らげる』 『いっぱい』と『しこたま』 『ずるい』と『したたか』 『寒い』と『凍れる(しばれる)』『冷たい』と『冷やっこい』…

微妙に違うから日本語っておもしろいね。お父さん。」

「でもなあ、使ってないと忘れちゃうからな。
方言なんかも参考になるなあ。」

「僕、落語が好きになったよ。お父さん、今度、浅草あたりに一緒に落語を聞きに行こうよ。」

「ああ、それもいいなあ。」