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パナシ

197,赤とんぼ

 

オニヤンマ

 以前、故山本文郎(フリーアナウンサー)の講演を聞いたことがあります。その時のメモが出てきました。今読み返しても、良い内容が沢山あります。せっかくなので紹介したいと思い載せました。

○父は医者で、母は薬剤師。一人息子。
生まれたときから七代目の家業をと期待されていたが算数は大の苦手。
「お前が医者になったら人を殺す。」と担任に言われたこともあります。

○医者だった父が広島で被爆し、病院で亡くなる前に、父から言われたことは「友達をたくさん作りなさい。相談できる友達、そして、自分に無い所をよく見て付き合いなさい。」ということでした。

○アナウンサーになりたいと思ったのは、オリンピックヘルシンキ大会で『フジヤマの飛び魚』といわれた古橋選手の活躍を見事に伝えた実況放送を聞いて、
言葉の魔力に引かれたことが大きなきっかけだと思います。

○アナウンサーは、大きな声でなくともいいんです。
ちょっと張り気味の声を出すと明るく、遠くまでよく届きます。
低い声は伝わりません。
若い頃はよく練習させられました。
壁まで届くようにお腹から出す練習をさせられました。

○戦時中、島根に疎開していた経験からも、言葉には関心を持っていました。
東京弁が全く通じない世界でした。
最初は、外国へ行ったような感じでした。地方の言葉、方言には方言の良さがあります。
方言は、標準語ではうまく置き換えられません。決して標準語が素晴らしいわけではありません。
首都が東京だったから東京弁が標準語になっただけです。
首都が京都だったら標準語は京都弁だったでしょう。
言葉は言霊です。気持ちを伝える道具のようなものです。
言葉が最初にあるのではありません。気持ちが先です。

○機内アテンダント(スチュアーデス)の方を前にして話すこともあるんですが、「標準語ばかりでなく時には…、」目の前に青森出身の人がいたとしたら
「郷里青森の方言で少しはアナウンスしたら?」といいます。
機内には、同じ郷里の方が必ずいます。標準語では伝わらない温かなものがスッと伝わるはずです。
そういう意味で、地方の方はバイリンガルですね。郷里が近づくにつれて口から出る言葉は郷里の言葉になっていますね。

○江戸時代、松の廊下で諸大名はすれ違うときどんな挨拶をしていたと思いますか?無言の会釈です。
お互いに言葉が通じないからです。
諸国の江戸家老が通訳?
おそらく仕草や言葉は江戸家老のまねをしていたんでしょう。

○日本語は、50音が基本。「あいうえお かきくけこ…」何度も練習させられました。
「あいうえお…」は口を開かなくても続けて言えますが「あえいうえおあお」は口を開けないと何を言っているのか分かりません。音楽や演劇でよく発声法の練習として使われていますね。

○日本語は音の高低で、英語は音の強弱で成り立っています。
「赤トンボ」「彼氏」「映画」皆さんはどう発音されますか?
若い人ほど平板に発音しています。
山田耕筰さんは言音一致で作曲していました。ですから、「赤とんぼ」の歌の中の「あかとんぼ」の発音が当時の発音です。アクセントは時代によって変わります。
生きているんですね。これが正しいということはありません。

○「十五夜」「15円」「産後」鼻濁音は、二音節以後の言葉で使うときれいに聞こえます。
外来語や数字は、濁音で読む方が伝わります。「ギンギンギラギラ夕陽が沈む。」

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