「私の先生」 神津カンナ
亡くなった私の祖父は、中村正常という名の作家であったが、おそらく、その名を記憶している人はほとんどいないだろうと思う。
祖父は,昭和の初期に台頭したナンセンス文学というものを書いていた作家の一人で、横光利一氏、龍胆寺雄氏、吉行エイスケ氏などが仲間であつた。 しかしナンセンス文学は、台頭して間もなく、軍国主護の流れの中で衰退していってしまう。
時代や政治への批判を、ユーモアやナンセンスのオブラートに包んで作品に仕上ていた祖父は、次第に書く場を失い、やがて「言論の弾圧をするような国では、二度と再びぺンを持つことはしない……」という宣言と共にぺンを折ってしまう。
そして、ほんとうに、平和な時代がやってきても、ペンを執ろうとはしなかった。
祖父は、私を大変かわいがってくれた。そして、この祖父との出会いが、私をもの書きの道に進ませた一つの原因になっているのではないかと思う。つまり、私にとって祖父は、初めての師というわけなのである。
けれども,なかなか厳しい教師であった。
私が「雨がしとしと降っている」などと言おうものなら、すぐさま私に詰問した。
「ほんとうに雨はしとしと降っておるか? ほんとうに君は雨を見て、雨の音を聞いてそう感じるのか? しとしと…というのは,誰かが感じた言葉なんだ。君はそう感じないかもしれない。自分の言葉を使いなさい。人が考えた言葉ばかりを使ってはいけない」
それで私は、仕方なく雨をもう一度見に行き、昔を聞き、そして「あのね,雨がバタチカポカ バタチカポカ降ってるよ」などと、感じた通りを言つた。
すると祖父は満足そうに「そうかそうか」とうなずいてくれた。
一事が万事そうであった。「鬼のように怖い顔」と言えば、「鬼を見たことがあるのか? 鬼はもしかしたらかわいい、人のよさそうな顔をしている奴かもしれん。知りもしない、見たこともないものを此楡に使うな」とくる。
「牛みたいにのろい」と言えば、「人間と比べると牛は愚鈍に見えるかもしれないが、かたつむりと比べれば、ずっと敏捷だ。そんなに簡単に牛をのろまの代表格に扱うな」とくるのである。
自分の言葉を使え。自分の感じたことを素直に言葉にあらわせ。比喩や慣用句を簡単に使うな。幼い私に祖父は,たえずそう言い続けた。
言葉を扱う商売についた私にとって,その教えは今でも大切なキーポイントである。
※何年か前に、ある雑誌を読んでいたら、神津カンナさんのこのエッセイが出ていて、思わず引き込まれてしまいました。
いろいろなことを考えました。
「自分の言葉で表せ!」これは、文章だけでなく、村社会ではなくなった経済優先の今の時代、益々大事なことだと思います。
「上がこういう方針だから…」
「で、あなたはどう考えているの?」
毎日の営みは、血の通った人間同士のやり取りである。
どんなに世の中変わろうとも一緒にやってきた人間を大事にする。日本社会はそういうよさがあったし、「共同意識」それが強みだったはずなのに…。
これからの日本、そんな寂しさを感じつつ、難しいことだが「自分の言葉で話せ」を痛感しています。