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友達が救急車で運ばれ、緊急入院した。その時のことを思い出しながら、文にしてみた。
風邪だと思っていたが、一向に熱が下がらない。眩暈(めまい)もあり、立っていることができない。すぐに救急車を呼んだ。
救急隊員に抱えられ、杖を突き、何とか病院にたどり着いた。
詳しく調べたら新型コロナ肺炎の陽性だった。
CTスキャン、MRI検査…、
幸い脳の方に異常はなかった。だが、悪寒、吐き気、眩暈、立っていられない。ベッドから起きてトイレにも行けない。コロナ陽性ということで部屋からも出られない。
点滴を受けながら友達は、思った。「これで、終わるのか?もっとやりたいことあったなあ。」
関係していたサークル活動の人達に状況を説明し(篠笛 空手 中国語 太極拳etc)に暫く参加できない旨を連絡した。
食事も喉を通らない。温かいご飯も匂いを搔いただけで嗅いただけで吐き気をもよおす始末。
ここまで救急隊員の方々や看護師さん達が非常に良く動いてくれた沢山の病院に連絡を取ってこの病院まで搬送してくれた。「自分が何も出来ない状態での人の好意は、本当に身にしみる。」友達はつくずくそう感じた。「感謝」の言葉しかない。
そんな中、若い女性の先生が薬や症状の説明をしてくれた。美しい声だが、蚊の鳴くような声で聞こえにくい。
何度か聞いているうちに
「先生、すいません、よく聞こえないんですが…」
「あっ、ハイ、もう少し大きな声で話しますね。」
「いえ、そうじゃないんです。余計なことですけど、先生の声は、綺麗で、上品で、育ちの良さがよく出ています。でも、声が前に通っていないので、聞きとりにくいんです。
先生、それは個人差があります。欠点と考えず、話す前に名前を呼んだらどうですか?話す弾みにもなりますし、名前を言われた方も、嬉しいですし、聞き取ろうとする気にもなりますから… 先生の声は綺麗な声ですよ。自信を持って良いんですよ。ちょっとした工夫ですよ。」
「あっ、ありがとうございます。」
次の日、男の先生が入ってきた。
「○○さん、食事は食べましたか?」
「あんまり進みません。」
「少し熱があるからでしょう。薬と思って食べた方が良いですよ。」
「はい、ところで先生は、スポーツは何をやってたんですか?」
「剣道です。」
「やっぱりね」
「分かりますか?」
「分かりますよ。姿勢、対人対応…」
ベッドの横に置いた篠笛を見て先生は、言った。
「○○さんは、笛をやっていたんですか?」
「始めたばかりですけどね。佐原囃子が大好きで、子供の頃いつか吹きたいと思っていたんですけど、その機会がなかなか無くて…。
ま、子供の頃の忘れ物を今取り返そうと始めたんです。」
「じあ、下座も?」
「いや、下座と言うより洋楽、唱歌、民謡… 佐原には佐原の歌がたくさんありますけど、香取には歌がないから香取の道をカントーリーロードで歌ったり…お陰様で良い仲間が沢山出来ました。」
「はは、香取ロードですか?」
「僕たちは、四半調の笛を使ってますよ。」
「私達は、七本、八本調子くらいですかね。たまには六本調子も使いますけどね。」
「僕たちの下座には、音符がないんですよ。耳と頭でイメージして、とにかくうまい人の音をよく聴くこと、音を盗んで自分のものにするんですよ。」
「そりゃあ大変ですね。」
「沢山吹いていると指が音に合わせて、思い道理に動いて来るときは嬉しいですね。」
笛の穴の押さえ方も力を入れず、指を真っ直ぐ伸ばして軽く触れること。
連音のたたき?はたき?のやり方も教えてくれた。
短い時間であったが、病気を忘れて、お医者さんとの話しを楽しんでいる自分がいた。
『医は、仁術』といわれるが、患者さんには、その人の治癒力がある。その人の体験、生き甲斐などさりげなく引き出し、話しの相手が出来る、それこそ名医だろうなあ。
ともかく、人の名前をうまく呼ぶことは、『安心感』『あなたの味方ですよ』 そんな気持ちが相手に伝わっていきますね。
世の中には色々な職業があるが、笑顔で人の名前を呼ぶことは、共通した一丁目一番地なんだろうなあ。
もちろん、職場の人間関係の潤滑油にもなるだろうし…。
『仁術は、医のみならず。』そんなことを感じました。