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パナシ

372,何年もやってるのに


友達同士が話をしている。

A:「中学校から英語勉強しているのに、実際には、自由に話せないんだよなあ。」

B:「ああ、分かるよ。俺だって同じだよ。」

A:「文章とかだと、なんとなく理解できるんだけど、話し言葉は、なあ…」

B:「実際、外人さんに話しかけられたら、イエスかノーとサンキューしか言えないよ。」

A:「本当に…何年もやっているのになあ。」

B:「俺、今、空手を習っているだろう?それも同じだなあと、最近の思って来たね。」

A:「同じって?」

B:「実際には、なかなか使えない、ってことさ。」

A:「そうなんだ。」

B:「色々な練習は、するけれど、いざとなった時に使えるものは、少ない気がするんだよ。」

A:「じゃあなぜ色々練習するの?」

B:「大会での試合とかの表現力のバリエーションの為かな?」

A:「ふーん」

B:「誰かに指示されれば、それはできるんだけど、自分では、イエス、ノー、サンキュー程度しか使えないのと同じだよ。

だから、気持ちの面で『練習は実際のつもりで』、『実際は練習のつもりで』とか、

技については、『器用貧乏になるな』と言われるけど、自分の得意技とか、自分のパターンを決めてないと、いざという時に迷うんだよなあ。
…なので、監督とかコーチとかスポーツ競技では、必要なんだろうけど…」

A:「それって、何にでも言えるよなあ。」

B:「防災、接客…咄嗟の事態に、上手く対応できない。
本当は、流暢に話せるんだけど…
本当は、強いんだけど…
本当は、…」

A:「瞬時に、事態に、正しく反応が出来るというのも、すごい能力だよなあ。」

B:「大きなことを言えば、世の指導者の質は、それで決まっちゃうからなあ。」

大方は、みんな分かっている。

だから、どうすればいいの?

二人の会話は、いつもと同じで、具体的にどうするかが出てこない。

落としどころは、フワーっとしている。

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パナシ

326,バンダナ

最近、人を軽く見る猫がいるという。
要するに、人より自分の方が上だと勘違いしているのである。

 先日、ヨガの練習の時に、タオルというかバンダナかな?それををしっかりと頭に巻いてきた若者がいた。誰だかは、分かっていたが、おどけて「どちら様ですか?」

「なに、言ってんですか?」

「今日は、ドジョウ掬いでもあるんですか?」みんなが噴き出して爆笑。

「今日は、決めてきたんだけど、そう見えますか?」

「慣れれば、大丈夫ですよ。でも、普段通りの方がの私は好きです。」

「あっ、そうですか?」

「それに、ここは練習場所ですからね。」

男の子だから遠慮なく言ったけど、女性だったら、躊躇して言えない。
嘘でも「かっこいいですね。」とおべっかを言ったかもしれない。
「ドジョウ掬い」何て言ったら、どんなに仲が良くても一発で嫌われていただろうと思う。

 そんな話を空手の練習が終わってからしていた。

すると、道場長が「田山さん、今の話じゃないけれど、田山さんは、ハンサムだからドジョウ掬いって感じじゃないけど、練習中にタオルというかバンダナというか、それを頭に巻いているのは止めてくれないかな?
子ども達がそれだけで恐がっちゃうんだよ。」

「髪がうっとうしくて…うちの子供たちは、家でも私がそうだから、慣れていますけどね。」

「帽子と同じだから、練習中はやはり取ってやろうよ。」

「そうですか、分かりました。」

 道場長は、今まで、田山さんにいつ言うか、ずっと気にしていたのだろう。当の田山さんだけが気にしていなかったのである。

「なぜいけないのですか?」そう言いかねない田山さんだから。

ヨガのドジョウ掬いの若者の話で、道場長も言いやすくなったのだろう。

 本当に色々な猫がいることに気が付く。

イヤホンはJLab

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パナシ

321、2対1


  ちょうど今、空手の型の審査が武道館で行われている。

「3対ゼロ、赤の勝ち!」…

「2対1、白の勝ち!」…

3人の審判が一斉に紅白どちらかの旗を挙げる。数多く上がった方を勝者とする。武道等の試合では、似たような形式が多い。

 3週間後にジュニア大会を控え、この道場でも練習に励んでいた。

「今日は、大会と同じ試合形式で勝ち負けを判定する。審判は、田中師範、久本師範、藤木師範の3名。

名前を呼ばれた拳士(選手)は、大きな返事をして、前に出て演武するように、周りで見ている者は、自分が審判だったらどちらに旗を上げるか、胸の中で考えながら演武を見るように。

なお、今日は、旗がないので、右手が赤、左手が白とします。

では、全員起立!正面に礼!お互いに礼!」

呼び出しの係が
「これより、型の部に入ります。」…「赤、小林太郎!」
「ハイ!」 
「白、大石大貴!」
「ハイ!」
二人が並んで礼をし、場が落ち着いたら「入ります!どうぞ!」二人の型の演武が始まります。

 二人の型が終わると、主審が「判定!」と叫ぶと同時に他の審判が、優っていると思う方の旗を挙げる。

「2対1、赤の勝ち!…一礼して下がって!」


 次の対決練習は、花本君と木村君の小学3年生同士の対決だ。私は、二人の演武を見て、全体を見ると恐らく、白の花本君が「3対0」で勝つだろうと思っていた。
そこで私は敢えて、部分演武の良かった赤の木村君に手を上げた。主審の久本師範が「2対1、白の勝ち!」…。

 その後、ほかのメンバーの型、組術、組手など、全員の対戦が終わった。

 休憩の時、赤の木村君がツカツカと私に寄ってきて

「手を挙げてくれてありがとう。」

私は「上手かったよ。特に、突き蹴りの勢いが花本君より良かったよ。」と演武の部分を誉めた。そして、「試合当日は、会場の雰囲気に飲まれないようにもっと大きな気合を出した方が良いなあ。」

「ハイ!」。

もし、私も花本君に挙げていて「3対0」で負けていたら、木村君は、しょげて自信を無くしていたかもしれなかった。こんなに素直に私の話も聞かなかっただろう。

 3週間後、本番のジュニア大会で、木村君は、なんと準優勝を果たした。

おそらく、3週間前のあの日、家に帰ってから木村君は、ビデオを見たり、自分の課題練習に励んだのだろう。
あの時の私の彼への甘い判定が少しは役に立ったのかなあ。
そう思うと嬉しい。
それにしても子ども達は、一旦自信を付けると、それがエネルギーとなって大きく成長する。
大会の審判も、細かく見ると色々である。全体で見る審判、部分で見る審判、気合、勢いで見る審判、正確さで見る審判、自分の道場の選手には絶対に挙げない審判…。子ども達は、そういう洗礼を受けて上手くなっていく。
伸びるきっかけがどこにあるのか、なかなか分からない。

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