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171,信長の人活用術


数十年前の、ある雑誌にこのような記事が載っていた。興味があった内容だったのでずっと保管しておいた。

 気性の荒いことで有名な織田信長。何事も直情的にことを運んだと思われがちだ。しかし、桶狭間の戦いから三年後の永禄三年(1563)の美濃進出のときには、次のような心理作戦を展開している。

 まず信長は、家臣を引き連れて、二の宮山の項上へと登った。そして、現在の本拠地である清洲を引き払って、二の宮山項に移ると宣言した。山また山の険しい地形。家臣達が驚いたことは、言うまでもない。なぜ、「こんなところに……」というわけだ。

 そうした不満の声は、やがて信長の耳にも聞こえてきた。
そこで彼は、烈火のごとく……と思うところだが、そうはせず、何も聞こえてこなかったように振舞った。

 そして、さらに数日後、再び呼び集めた家臣に、二の宮山ではなく、平野部に位置する小牧山に移ることを宣言した。もちろん、家臣達が胸をなで下ろしたことは言うまでもない。

 信長自身は、最初から小牧山に移ることを企図していたようだ。
しかし、最初からそれを言わずに、まず条件の悪い方を示して、それを変更するという二段階法を踏んだのだ。

 誰でも後で好条件が示されれば、そちらに心が動く。前の悪条件と比べてたらかなり楽だからだ。信長の心理作戦の勝利と言える。

信長はこのように達成目標を決めたら、時には、それよりも2段階、3段階上げた目標を部下に示し、それを達成した者を優遇し引き上げた。
秀吉や光秀などはその代表的な人物である。
1年はかかるだろうことをまずは3カ月でやれと無理そうであれば次に半年でと少し緩める。

 ほめ方、叱り方でも同じことが言える。まず叱って注意を喚起する。
その後でほめて課題への真剣な取り組みを促す。
まさに信長の心理作戦と同じ様な手法である。

 ある時はこうした人の動かし方もした信長だが、また別のところでは次のような言葉で人の心をつかむ方法を説いている。

真心を込めた仕事に過ちがあれば、福に変える心配りをするのが、上に立つ者のいつくしみである。

 失敗を犯した家臣に対しても、温かく見守り、フォローする。激情の人物信長のもう一つの側面である。

わし一人では何もできぬが、部下を束ねて目標を与えれば…

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