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パナシ

333, 左手でピアノ

 今から20年前、新聞にこんな記事が載っていました。参考にしていただければ幸いです。

 左手だけで演奏するピアニスト舘野泉氏が衆目を集めている。フィンランドでの演奏会の最中に脳出血を起こし、リハビリに励んだが右手が使えなくなってしまった。

失意の彼は英国の作曲家ブリッジによる左手の曲に出合ってから自分の命を取り戻し、左手だけで演奏会を再開した。
 たまたまテレビで演奏をしている場面に出合い、目をつぶって聴いた。素晴らしい!
 目を開けると、左手だけの所作に心をとらわれてしまい、肝心の音楽が遠のいていく。

舘野氏自身も言っているが、われわれは「ピアノは両手で弾くもの」という先入観がある。しかし、左手だけの演奏には音楽のエッセンスがすべて凝縮されているので、信じられないくらい素晴らしい曲が奏でられる。

 イチロー選手が安打新記録を達成した時、「大きさや強さに対するあこがれが大きすぎて、自分自身の可能性をつぶさないでほしい。自分の持っている能力を生かせれば可能性はすごく広がる」と述べているが、舘野氏の一件とピタリと重なる。
「大きさや強さへのあこがれ」は「両手を駆使して名曲を奏でる」ことと重なり、「自分の可能性をつぶす」とは「右手が動かないからできない」と思ってしまうことではないか。
 教育や福祉にかかわる人々も「ピアノは両手で弾くもの」的思い込み症候群に陥って、とんでもない過ちを犯していないかと自問してほしい。
 私自身「この学生のレベルから見てこのくらいまでできればいい方かな」などとしょつちゅう思うこともある。 イチロー選手的に言えば、その学生の持っている能力に目を向けず、「両手弾き意識」の枠をこしらえ、学生と私の両方の可能性をつぶしているのはほかならぬこの私自身であった。

 福祉職三十年近く、教育職十五年、もしかして「可能性つぶし」に明け暮れたのではないかと、舘野氏とイチロー選手の生きざまを見て恥じ入るのみである。

舘野泉:クラシック界のレジェンド、86歳ピアニスト。 領域に捉われず、分野にこだわらず、常に新鮮な視点で演奏芸術の可能性を広げ、不動の地位を築いた。 2002年1月のことだ。 在住するフィンランド・ヘルシンキでのリサイタル中、脳溢血で倒れ、右手の自由を失ってしまう。右半身不随となるも、しなやかにその運命を受けとめ、「左手のピアニスト」として活動を再開。今も、国内外で年間50回近くのコンサートを行う現役の奏者である。

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