
宮本武蔵の「五輪書」の中に、ものを見るとき、ただそのものを見るだけの「見の目」ばかりでなく、「観の目」を持ってものを見ることの大切さが出てきます。
似たようなことを剣道をやっている友達から聞いたことがあります。
「正座をしたり、列で並ぶときとか、よく一点を見つめるように言われるけど、確かにそうだ。一点を見ると頭の動きがピタッと止まる。剣道の試合で相手と対峙したときは、目を細くして横に走らせろ!。特に相手の動きは左目で見ろ!と教えられてきたよ。」と…。そうか、点から線にするのか…姿勢も上下しなくなるし…。
では、大仏や仏像などの目はどうなんでしょうか?

どの場所にいても目が合い、自分がいつも見られている気がします。あれは、大仏や仏像が全体を見ているからなのでしょうか?
つまり、線以上の上下左右まで見られる面(円)で全体を見ていると言うことなのかあ?そうか、なるほどなあ、仏師の方々はそこまで考えているのかと改めて感心しました。
点→線→面(円)なら、球もあるはず…。しばらくして自分なりに分かった気がしました。
それは、目を閉じることです。目を閉じると、それまで副だった耳の感覚が急に主になるのがよくわかります。徐々に研ぎすまされていき、後ろにも神経が走ります。私は、この発見を、ちょっとだけ開眼したようでうれしくなりました。

宮本武蔵の言う「観の目」はどれに当たるのか?もう少し考えてみようと思います。
自動車教習所で運転免許を取る時、教官から「一点を見るな、遠くを、全体を見るように!」と言われたのを思い出します。
このときの目は、面に近い線で見ているのかなあ。かなり太い線ともいえそうだなあ。
点、線、面、球のいずれで見るにしても、遠くに神経を走らせることですね。
