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〇何気なくラジオを聞いていたら、貧乏自慢を募っている放送があった。
①私の家は貧乏だったから、手袋が買えず、お父さんの履き古した穴の開いた靴下を手につけて、学校まで行っていたの。
恥ずかしくて恥ずかしくて…。
そうしたら、元気な男の子が
『それ、かっこいじゃん。俺もそれやってこよう』
次の日からそれがクラスで流行った。
②俺、本当に貧乏なんです。でも酒は、好きだから買うけど、おつまみを買う金がない時、時々、輪ゴムを皿において、醤油かけて口の中でむしゃむしゃやるんだよ。
スルメのように見えるし、一向に減らないからいいよ。
味が亡くなったらまた皿に戻して醤油に浸すんだよね。永遠のおつまみになるよ。
③俺は、子供の頃、寒い日はね、石を拾って、地面に暫く擦って歩くんだよ。
そしたら摩擦の熱で石が段々と暖かくなるから、それをポケットに入れていたなあ。
〇「ねえ、ねえ、お母さん、お爺さんが変なことしているよ。」
「どうしたの?」
「なんか、ライターでパンツ乾かしているみたい。」
「ええっ?まさか?」
「まだやっていると思うよ。」
お父さん!何してんの?」
「ちょっと乾かそうと思って…」
「また、おねしょしたの?」
「お前に悪いから、自分で乾かそうと思ったんだよ。」
「火事になるわよ。洗濯するからちょうだい!」
「お母さん、どうだった?」
「大丈夫、何でもないわよ。」
〇「あなた、大変よ。ちょっと来て!」
妻が夫を冷蔵庫の前に連れて行った。
「これ見てよ。」
「これって、あれか?」
「そう、あれよ。口に出して言わないで!トイレと間違えてしちゃったい。相当飲んだのね。」
酔って友達を家に泊めたはいいが、とんでもないことになっていた。
「もう、あの人を連れてこないで!」
「あーあ、子ども達のケーキまで、びしょびしょじゃないか。」
「私が片付けるから、あの人には、何も言わないで!」
「ああ、何もなかったことにしておくよ。」
友達と一杯やっていたら,TVから美輪明宏さんの「ヨイトマケの歌」が聞こえてきた。二人の会話が止まり、暫く、じっと聴き入った。
友達は、目に涙を浮かべながら「俺この歌聞くと、子どもの頃のことを思い出して、涙が出ちゃうんだよなあ。」
「うん、俺もだ。俺たち、子どもの頃は、みんな貧しかったからなあ。」
「♪学校の帰りに、男の中に混じって働く母ちゃんの姿を見て…『勉強するよ』と、自分に言い聞かせるところが…、ああ、泣けるんだよなあ。」…
そして、いつの間にか二人の苦労話と貧乏自慢が始まった。
「俺んちの父ちゃんは、職人だったから、貧乏だったなあ。仕事があまりなかったんだよ。
当時は、農家は、比較的裕福だったからなあ。
自転車が乗れるようになった小学校2年生ぐらいから、ばあちゃんを乗せて駅までとか、学校近くの米屋さんから、お米を家まで運ぶとかやらされたなあ。
子供用の自転車じゃなくて、大人用の自転車を三角乗りしてしてたんだよ。
それでね…。
ある日、米屋さんから家への帰り道、急に雨が降ってきちゃって、お米を入れた紙袋が濡れて破れて、お米が道路に散乱…『あああ』…どうしようもなく泣いたね。
このお米を家に持って帰らなかったら、どうなるのか、子どもながらに分かっていたからなあ。
そしたら、村の近所のおじさんが通りかかって
『どうした?』
『米が…うーうー。』
『大丈夫だ。ほら、この袢纏(ハンテン)に米を手で掬って入れろ!』
自転車から下りて、着ていた袢纏を道に広げた。
『うん、ありがとう、おじさん。』
舗装されてない道路だったので、お米は砂まみれ、全部は取り切れなかった。
おじさんは、一緒に家まで来てくれた。
母ちゃんに訳を説明してくれた。
『大丈夫だよ。ザルに入れて水を通してやればお米と砂は、分けられるから…。』
母ちゃんの柔らかい声を聞いて、嬉しさと安心感、同時に自分の不甲斐なさと、堪えていたものが一気に出た。
『母ちゃん!わー、わー。ごめんよ。ごめんよ。わー、わー。』…
『おじさん、本当にありがとう。』」
「あのおじさんの優しさは、一生忘れられない。」
と語る友達の目にまた涙が…。
「そんなことが、あったんだ。」
他にも
「中学校に入っても、制服が買ってもらえず、詰襟じゃない服で我慢して登校してたなあ。」
「祖父が亡くなって、東京の親せきが来た。そして、泊まっていくことになった。でも布団が足りない。
母ちゃんが、懇意にしている村の家へ行き、布団を借りてきたのを覚えているよ。
母ちゃんの切ない気持ちがよく分かったなあ。…でも、一番辛かったのは、父ちゃんだったかもしれない。
他にも一杯あるよ。
貧乏は、好きでするわけじゃないけど、辛く、切ないものだ。肩身の狭い思いも随分した。だから俺は、東京に出て自分で会社を興して、金持ちになりたかったんだ。」
話を聞いて、この友達は、自分の数倍苦労し、それをバネに努力し、成功してきたんだなあ。
それに比べ、自分は、…気が小さいからそんなことは、できなかった。
やっとなれた公務員で、ほどほどの生活。染みついた貧乏性で、物が捨てられない、大きな発想ができないなどの弊害も持っているけど…
もし、困っている親戚などがいて、我が家を頼って来たとしても、今は、とても面倒を見ることができる状態ではない。自分の家族だけで精一杯。貧乏から逃げたつもりでも、いまだに、その程度の下流生活。
上を見ても下を見てもキリはないが、『起きて半畳、寝て一畳、天下とっても二合半』背伸びをせず、与えられたものの中で人生を楽しむしかないのだろう。
たとえ貧乏でも、友達を助けてくれた、あのおじさんのような品性は持ちたい、そう思った。
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