作家の童門冬二さんが以前ラジオの講演会で話された内容から学ぶことが多かったので、メモしておいたものを思い出しながら書いてみました。
黒田官兵衛ら先人に学ぶ
●三バン『地盤、看板、鞄(金)』の無かった黒田家、官兵衛の知恵が優れていた。
●本能寺の変後、官兵衛の進言がなかったら、秀吉は天下を取れず。
●名軍師と言われた人は、数々居れど、官兵衛ほど上司や部下に慕われ、家を絶やすことも無かった武将はいない。
山本勘助(武田信玄の軍師)は、策を読まれて川中島で討ち死に。
竹中半兵衛(羽柴秀吉の軍師)は、結核で命を落とす。
真田幸村も地域戦には強かったが、全体では貢献なし。
●家康から「関ヶ原に勝ったのは、黒田さんあなたのお陰です。」と。官兵衛は筑前(福岡)に52万石を与えられる。
明治の廃藩置県が行われるまで黒田家は存在。黒田節(武士)にもあるように盤石体制。
家康は誰に対しても「あなたのお陰」「ここだけの話」「あなただけに話す」をうまく使ったという。
●黒田家は、「意見会」を毎月三回開く。身分に関係なく言いたい意見を言わせた。
上の者が下の者から批判されても文句は言わない。
秘密のこともあるのでこの部屋限りで口を閉じさす。
●武田信玄の訓から、
(自分は、名武将と言われ、死んだときも棺桶にすがる人々。それがため、その後の二代目勝頼は愚か者扱いされる。)
黒田官兵衛は、二代目を愚か者にしないために、わざと歴代の家臣の悪口を言って、「親方様は、もうだめだ。二代目を盛り立てよう。」という雰囲気を作る策を意識して行った。
「あいつは力だけのウドの大木だ。何の役にも立たん。」
「あいつは良い奴だが、良い人は無くても良い人だ。」などと…。
●ある時「意見会」で、見習社員が良い意見を出した。息子長政はひどく感心し、「その意見に従いましょう。」とその場で言った。
官兵衛は、後で息子長政に「決断を他の者に譲って城主たる価値があるか。」よく心得よと諭す。
形見として草履の片方、下駄の片方を渡す。
「何か意味が?」
「おまえはすぐに意味を考える癖がある。意味など無い。城主たる者はどうあるべきかをこれを見て思い出せ!」
軍師の用件とは?
①先見力 ②情報収集力 ③分析・判断力 ④決断力 ⑤実行力 そして何より健康
●毛利元就は、「唐傘連合」と言われる方式で中国地方を治める。天下を取ろうなどとは全く考えていなかった。
「唐傘連合」とは、モンロー主義。(相互不干渉)
●信長は、新進の今までのことに縛られないやりかたで、天下統一を熱望。
孟子曰く「王は徳を持つべし。徳のない王は引きずる落とすべし。」
若い頃の信長は、民を思い徳があった。だが段々と大量殺人を犯すようになっってきた。(比叡山3,000人 長島一向一揆30,000人など 人というより鬼に化してきていた。
「鬼退治をした。」は、明智光秀の理屈)
●佐久間象山 20歳で地方人を自覚し、30歳で日本人を自覚し、40歳で国際人であることを自覚。一人の中に三人が居ると自身に言い聞かせ、それぞれの立場で物事を考えていた。
《徳川二代将軍秀忠の問いに、息子黒田長政が回答》
●天下を収めるとは?
〇父如水(官兵衛)が申すには「重箱をすりこぎでかき回すように!」楊枝では隙間(ゆとり・余裕)がなくなります。
●人物はどうあるべきか?
〇父如水が申すには「牡蠣のようにどんな荒波にも負けないように外に優しく、しかも中身はしっかり守る。内に厳しく有るべし!」
●武将とはどうあるべきか?
〇父如水が申すには、将棋の駒に例えると、力の強い物、経済力のある者等は飛車・角・金・銀に…ですが、決して歩を粗末になさいませんよう。
●黒田家の家訓は厳しいと言われますが、そうですか?
〇 父如水が申すには、「同じ間違いは、二度までは許すが、三度目は切れ!」
●秀忠は、長政に「あなたは嘘を言ってますね。父如水(官兵衛)様はそう言っていたかは分かりませんが、父を立てるあなたは素晴らしい武人です。」